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よこかわ ときすけ

横河時介

よこかわ ときすけ

1896.4.9(明治29)〜 1974.8.23(昭和49)

大正・昭和期の実業家、
横河グループ 2代目総帥

埋葬場所: 9区 1種 4側 4番

 横河民輔、下枝の長男として東京に生る。1922(T11)アメリカ・コーネル大学建築科卒業。翌年、横河工務所建築技師となり、1938(S13)横河橋梁製作所社長に就任した。1940からは横河電機製作所社長をも兼任(1960会長、1966相談役に各就任)、同社専任のため1947横河橋梁社長を辞したが、1950から再び兼任した。以後、総合建設業に進出を図るべく1963横河工事を設立、また新工場増設、機構改革、陣容の刷新を図るなど社業の伸展に尽力した。

<日本人名大事典 現代>
<五輪塔様より情報提供>


*墓所内は正面に「工学博士 横河民輔之墓 室下枝」、裏面「1864-1945」の墓石が建つ。右側に横河民輔の銅像、銅像の背中に「工学博士横河民輔先生壽像 為 創立二十周年記念建之 昭和十一年十一月 株式会社横河電機製作所」とある。台座前面に「横河民輔先生」、台座裏面に略歴が刻む。左側に洋型「横河家」、左面「昭和四十九年十一月吉日建之」、裏面に横河時介の刻みがある。横河正三の刻みはない。また墓所入口に和型「横河敦子之墓 / 横河悦子之墓」が建つ。悦子は横河民輔の二女で2才で逝去。敦子は横河民輔の四女で2才で逝去。

*母の下枝(しずえ)は漢学者の棚橋松邨と女子教育家の棚橋絢子の次女で陶磁器収集家としても著名。1893(M26)横河民輔と下枝は結婚。二人の間に3男4女(二女子は早世)に恵まれ、長男が時介。弟の三男の横河正三(1914-2005)も横河電機代表取締役社長を務めた。

*右隣りの墓所は横河電機初代社長となった甥の横河一郎の墓である。横河民輔の兄の横河震八郎の長男。



第284回 横河グループ創始者 YOKOGAWA 日本の鉄骨建築の先駆者
横河民輔 横河時介 お墓ツアー


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