東京出身。横河震八郎の長男。父の弟が横河グループ創始者の横河民輔(9-1-4-4)であるので叔父。父は横河橋梁製作所の取締役を務めた。
東京電機大学卒業。当時、建築の設計監督を行っていた横河民輔から、『電気』が民間にも行渡る時代が到来することを予見した話を聞き、一郎と青木晋の二人は、将来日本では電気計測器が必要であると考えた。
1912 青木と共にドイツに留学。帰国後、'15(T4)民輔の協力の下、青木と電気計器研究所を創設し、電気計器製造事業の開拓をはじめた。翌年、横河電機製作所と改称。当時、外国製電気計器が工場や研究所における信頼を独占する状況下での電気計器の開発の取り組みであったが、'17最初の電流計、電圧計、電力計などの試作品の生産に成功した。'34(S9)販売し始め〔本格的には'62電磁流量計からである)、国産化の道を切り開いた。
当初の目標は積算電力計の国産化であったが量産化のための製作費の引下げを研究し、並行的に指示電気計器の研究試作に力を注いだ。
'20(T9)会社を株式会社に改組して、株式会社横河電機製作所を創立され、専務取締役に就任。'30(S5)ベルギー万国博覧会に電気計測器を出展し「名誉賞」を受賞。'38 空席であった、横河電機初代社長に就任したが、同年急逝。享年53歳。没後、民輔の長男の横河時介(9-1-4-4)が社長を継いだ。
*墓石は和型「横河家之墓」、裏面は横河一郎「昭和十三年六月二日歿 享年五十三歳」と、一郎の妻の ささ「昭和六十一年一月七日 享年九十三歳」の没年月日と享年が刻む。左側に墓誌が建ち、早世した一郎の二男の重雄、三男の正雄が刻み、一郎(38代目)、ささ、長男の安雄(39代目)が刻む。
*妻の ささ(M27.11-S61.1.7 ) は山梨県の豪農の大木親雄の娘。旧姓は大木。一郎との間に3男2女を儲ける。長男の横河安雄(1917-2009.9.25)は横河商事社長を務めた。長女の幸子は実業家の下坂正蔵に嫁いだ。二女は輝子。養女に延子。二男は重雄。三男が正雄。
*祖父は横河秋濤。父は横河震八郎。長男は横河一郎。長女の英は大井美陰に嫁いだ。
*現在は前面「横河家之墓」と刻むが、以前は「横河一郎之墓」と刻まれていた。形や裏面の刻みから同じ墓石を使用して前面のみを削り直したと推測する。
*隣の墓所は横河民輔、横河下枝、横河時介の墓である。