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よこがわ しずえ

横河下枝

よこがわ しずえ

1869(明治2)〜 1960.6.17(昭和35)

大正・昭和期の陶磁器収集家

埋葬場所: 9区 1種 4側 4番

 父は漢学者棚橋松邨、母は教育者の絢子。下枝が生れて間もなく父は失明し、母が夫に代り教壇に立ち、親戚に養育された。幼時から画を好み滝和亭の門に入り瓊英と号した。のち実家に戻り父に教えをうけた。 父の死後に建築家であった横河民輔(同墓)と結婚、民輔創業の建築、橋梁、電機、商事の各事業に内助の功をあげた。下枝は種々の趣味を持ち、なかでも陶磁器の鑑識眼が高く、夫の同意を得て収集が本格化し、中国の古代から系統を立て年代を追って名器を集め、中国陶磁の収集として世界的に有名な横河コレクションとなった。のち下枝の発案によってコレクション1200点余を国立博物館に寄贈した。
 また忍耐心を養うために52歳で源氏物語全巻筆写をはじめ、一日も休むことなく続行し、76歳の時に完成させた。91歳で死没。三男四女(二女子は早世)に恵まれ、長男の時介(同墓)は父の遺業を継承し横河橋梁製作所、横河工事、横河電機製作所各社長となった。

<日本女性人名辞典>


*墓所内は正面に「工学博士 横河民輔之墓 室下枝」、裏面「1864-1945」の墓石が建つ。右側に横河民輔の銅像、銅像の背中に「工学博士横河民輔先生壽像 為 創立二十周年記念建之 昭和十一年十一月 株式会社横河電機製作所」とある。台座前面に「横河民輔先生」、台座裏面に略歴が刻む。左側に洋型「横河家」、左面「昭和四十九年十一月吉日建之」、裏面に横河時介の刻みがある。横河正三の刻みはない。また墓所入口に和型「横河敦子之墓 / 横河悦子之墓」が建つ。悦子は横河民輔の二女で2才で逝去。敦子は横河民輔の四女で2才で逝去。

*1893(M26)横河民輔と下枝は結婚。二人の間に3男4女(二女子は早世)に恵まれ、長男の時介は父の遺業を継承。三男の横河正三(1914-2005)も続き、横河電機代表取締役社長を務めた。

*右隣りの墓所は夫の横河民輔の兄の横河震八郎の長男である横河一郎の墓であり、横河電機初代社長を務めた。

*ご両親の墓は台東区谷中の全生庵の山岡鉄舟の墓の前にある。


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