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やない へいはち

柳井平八

やない へいはち

1888(明治21)〜 1945.2.15(昭和20)

明治・大正・昭和期の建築家、
陸軍技師(高等官一等)

埋葬場所: 6区 1種 5側 15番の3

 岡山県出身。1910(M43)東京高等工業(東京工大)卒業後、陸軍建築部に就職。 陸軍関係の建築技術者として勤務し、軍人以外は昇進しにくい軍の組織の中で、最後は高等官一等(勅任官)、局附(局長同格)まで登りつめた。
 '23(T12)大蔵省震災調査委員会委員、'24陸軍震災善後委員、'25約一年建造物の視察の為、10カ国を廻る。 陸軍関係の建築に従事した他に、宮家、靖国神社の建築物や軍関係者の私邸などを建築した。 代表的なものに、旧閑院宮別邸(箱根強羅花壇)、陸軍大臣・宇垣一成邸、教育総監・渡邊錠太郎邸など。従3位 勲1等瑞宝章、勲2等旭日重光章。行年56歳。

<お孫様の柳井保様より情報提供>


*長男は陸軍技術少佐の柳井斌(同墓)である。斌の妻あいは、日本画家の川崎小虎(7-2-7-2)の娘である。

*墓石は洋型で正面に「愛」と刻む。

*渡邉錠太郎邸は'36.2.26に起きた「二・二六事件」が起きた事件現場の一つであり、事件後も2008.2(H20)まで杉並区上荻2丁目に現存した。 現在は取り壊されたが、玄関や居間などの建物の一部が杉並区に寄贈され、杉並区指定有形文化財(歴史資料)に指定されている。 2010「二・二六事件の現場 渡邉錠太郎邸と柳井平八」展が杉並区郷土博物館分館で開催され、渡邉錠太郎及び同邸関係資料並びに柳井平八関係資料325点が展示された。


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