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やまのい ゆう

山井 湧

やまのい ゆう

1920.7.22(大正9)〜 1990.4.16(平成2)

昭和期の中国思想学者

埋葬場所: 3区 1種 9側 19番

 兵庫県出身。曽祖父は儒家・漢学者の山井介堂(璞輔:同墓)。祖父も漢学者の塩谷時敏(青山)、祖母は山井介堂の娘。時敏の次男として生まれた父の山井良(同墓)は、儒家・漢学者の山井清渓(幹六:同墓)、儒学者・女子教育者の山井道子(同墓)の養嗣子となり、良の長男として生まれる。伯父に漢学者の塩谷温(節山)。
 第一高等学校を経て、東京帝国大学支那哲学科に入るが、1942(S17)学徒出陣のためを繰り上げ卒業。
 戦後は長く特別研究生として過ごし、都立の高校教諭を経て、中国哲学研究室助手を務め、'62 中央大学助教授、'64 東京大学文学部助教授、'71 教授となった。
 明末・清初の思想を研究し中国近世への過渡期の特徴を把握した。主な著書に『明清思想史の研究』『中国思想概論』などがある。'81 停年退官し、東京大学名誉教授。その後、大東文化大学教授、文学部長などを務めた。日本中國学会理事長。享年69歳。

<日本医史学雑誌「知られざる医史学者・渡辺奎輔」町泉寿郎>
<著者略歴など>


墓地

*山井家墓所には7基の墓が建つ。正面「山井氏墓」。左に並んで山井道子の墓石で正面「智澄院山井道子之墓」、右面「明治三拾五年五月拾六日歿 山井幹六 継配」、左面「女 大地家榮 建之」。道子の墓石の向かい墓所左側に山井介堂の墓石で正面「介堂山井先生之墓」。その左隣の墓石は山井介堂の妻の千恵子の墓石で正面「幽貞儒人之墓」、左面「介堂先生 配 川井氏 諱 千恵子 明治四十三年七月一日歿 享年七十有九」。「山井氏墓」の右に並んで「賢達院山井鈴子之墓」、裏面に没年月日。その向かい墓所右側は山井清渓の墓石で正面「清渓山井先生之墓」、左面「嗣子 良 建」、右面「明治四十年五月廿八日歿」。その右隣の墓石は正面「貞窓院山井華子之墓」。その他、墓誌などはなく、山井良は清渓の墓石の建立者として名前が刻むが、山井湧を含む以降の刻みはない。

*塩谷時敏(青山)、塩谷温の墓は天王寺。


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