山口県出身。澁谷勝政の二男として生まれる。1879.9(M12)先代の渡邊小三郞の養子となる。'17(T6)家督を相続。
1888.7.28(M21)陸軍士官学校(旧10期)卒業し砲兵少尉に任官。同期に尾野実信(後に大将:6-1-13)、太秦供康(後に少佐・男爵:3-2-1-5)らがいた。1892.11 陸軍砲工学校高等科(1期)を優等で卒業。フランス駐在などを務める。少佐の時、日露戦争が起こり第1軍管理部長として出征。
1907.1.21 陸軍大臣秘書官に就任し、寺内正毅大臣に仕えた。'08.12.21 砲兵大佐に昇進し、重砲兵第1連隊長となる。'11.11.22 重砲兵監部員を経て、'14.5.11(T3) 少将に進級し、広島湾要塞司令官に着任。同.8.18 第一次世界大戦では臨時攻城砲兵司令官(青島攻略)で参戦。'15.5.24 重砲一派団長を歴任後、'16.8.18 陸軍重砲兵射撃学校長に就任した。
'18.7.24 中将に累進し、由良要塞司令官、同.11.1 重砲兵監に移り、'19.4.15 重砲兵監と野砲兵監を統合し新設された砲兵監に就任した。'22.8.15 待命、'23.3.23 予備役に編入した。正4位 勲2等 功3級。