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おの みのぶ

尾野実信

おの みのぶ

1865.12.2(慶応1.10.15)〜 1946.4.19(昭和21)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(大将)

埋葬場所: 6区 1種 13側

 筑前(福岡県)出身。尾野実治の三男として生れる。 1888(M21)陸軍士官学校(旧10期)を優等で卒業し、歩兵少尉に任官、歩兵第14連隊小隊長に就任した。 陸軍大学校在学中に日清戦争出征、1896同校を首席で卒業(10期)。参謀本部に入り、軍事研究のためドイツに駐在。 帰国後は中部都督部参謀、大本営参謀を務めた。日露戦争には満州軍参謀として出征し、大山巌元帥副官、満州軍総兵站監部参謀を兼ねた。 戦後は、陸軍省軍務局歩兵課長、ドイツ大使館付武官、歩兵第37連隊長、1911中清派遣隊司令官を歴任する。
 '12陸軍少将となり、歩兵第8旅団長、'14(T3)参謀本部第1部長、'16同総務部長を務めた。 同年、陸軍中将に進級し、第10師団長となる。'18第15師団長、'19教育総監部本部長を歴任し、'21陸軍次官、兼航空局長官を経て、'22陸軍大将となり、関東軍司令官となる。 その後、'27(S2)軍事参議官。宇垣一成(6-1-12-1)陸相の軍縮案(宇垣軍縮)に反対した。'39侍命、予備役。
 この間、'30.5〜'39.5第2代大日本相撲協会会長。 当時は会長職をおいており、初代は福田雅太郎、3代目は竹下勇であり全員陸軍大将である。 なお、同じ時期、'20〜'38初代理事長を務めたのは広瀬正徳(15-1-11-13)陸軍中将であった。 '44.10〜'45.4小磯内閣の内閣顧問を務めた。編著に『元帥侯爵 大山巌』や、訳書に『ブルーメンタール元帥陣中日誌』などがある。 '22勲一等瑞宝章。功三級。享年80歳。

<帝国陸軍将軍総覧>
<帝国陸軍のリーダー総覧など>
<五輪塔様より情報提供>


*蔵状の墓石正面「尾野家之墓」、裏に「昭和五年七月 第十代 實信 建之」と刻む。墓所左側に墓誌が建つ。墓誌は長男の尾野信太郞(M32.2-S4.12.9)から刻みが始まる。次は嫂(兄嫁)のツルらが刻む。尾野実信の戒名は玄忠院殿誠譽實貫宗信大居士。妻はツマ(M10.2-S30.7.17)。実信の孫で信太郞と雪子の長女の尾野文子(T15.3-H18.9.19没)。尾野啓策(H20.2.27歿)、尾野康弘(H30.5.22歿)が刻む。

*尾野実信とツマの長女の初子は東京裁判でA級戦犯となり処刑された陸軍中将の武藤章に嫁いだ。


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