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ひろせ まさのり

廣瀬正徳

ひろせ まさのり

?〜 1938.9.27(昭和13)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(主計中将)、
相撲協会初代理事長

埋葬場所: 15区 1種 11側 13番

 福岡出身。号を秋山。旧姓石川。石川秀重の第二子として生まれる。廣瀬正和の養子。1893(M26)陸軍省に入る。 主計畑を歩み、主計課長、'17(T6)日朝鮮駐剳軍経理部長などを歴任。1919.4.23〜13.5.5(T8〜T12)陸軍経理学校長を務めた。 陸軍中将主計総監。正4位 勲2等 功4級。
 '25(T14)日本相撲協会が設立し財団法人として認可された。これに伴い、'28.1.7(S3)初代理事長に就任。死去する'38.9.27まで務めた。 その後、日本相撲協会は陸軍士官の西岡静太郎、白土哲郎が理事となったが、歴代理事長には記載されず、'38.9.28〜'44.2.29まで理事長は空位とされている記述が多い。 よって、協会の意思決定機関である理事会を構成する理事を外部の人間(関取以外の唯一の人物)が務めたのは廣瀬正徳のみとしている。 なお、廣瀬が日本相撲協会初代理事長になった背景は、東京相撲協会と大阪相撲協会が合併して設立されていた日本大角力協会を財団法人化するにあたり、陸軍の人脈を相撲界に引き入れて、相撲界の組織基盤を磐石のものに仕立て上げる思惑があり、福田雅太郎陸軍大将を会長に推し、協力を求めていた陸軍主計総監陸軍省経理局長三井清一郎の推挽により、廣瀬が理事長に就任したという経緯があった。

<墓誌碑など>


碑

*墓石正面「廣瀬家之墓」。右側に「廣瀬正徳君碑」が建つ。碑の裏面が墓誌となっている。

*孫の武者成一が『史談 土俵のうちそと』(雲母書房)を著している。


【日本相撲協会歴代理事長】

氏名肩書き在位
初代広瀬正徳陸軍主計中将1928.1.7〜1938.9.27
空位1938.9.28〜1944.2.29
*陸軍士官の西岡静太郎、白土哲郎が理事となっているが空位とされている
二代藤島秀光
(出羽海秀光)
第31代横綱
常ノ花
1944.3.1〜1957.5.6
三代時津風定次第35代横綱双
葉山
1957.5.7〜1968.12.16
四代武蔵川嘉偉前頭筆頭
出羽ノ花
1968.12.17〜1974.1.31
五代春日野清隆第44代横綱
栃錦
1974.2.1〜1988.1.31
六代二子山勝治第45代横綱
若乃花
1988.2.1〜1992.1.31
七代出羽海智敬
(境川尚)
第50代横綱
佐田の山
1992.2.1〜1998.1.31
八代時津風勝男大関
豊山
1998.2.1〜2002.1.31
九代北の湖敏満第55代横綱
北の湖
2002.2.1〜2008.9.8
十代武蔵川晃偉第57代横綱
三重ノ海
2008.9.8〜2010.8.12
代行村山弘義元東京高等検察庁検事長2010.7.4〜8.5
十一代放駒輝門大関
魁傑
2010.8.12〜2012.1.30
十二代北の湖敏満第55代横綱
北の湖
2012.1.30〜2015.11.20
(任期途中で逝去)
十三代八角信芳第61代横綱
北勝海
2015.12.18〜現在
(北の湖親方の逝去に伴い事業部長と兼任し代行を務め後に正式に理事長に選出)

 1944以降、理事長は相撲界出身者が独占している。'68寄付行為を改正し、理事、監事を選出する評議員を力士および年寄、行司に限定した。 理事は年寄に限られた。その結果、基本的に5つある一門が話し合いで定数ちょうどの10人の理事を擁立し、評議員会は無投票で承認。 理事の互選で理事長を選ぶ閉鎖的な体質ができあがった。

<相撲事典など>


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