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つかもと とらじ

塚本虎二

つかもと とらじ

1885.8.2(明治18)〜 1973.9.9(昭和48)

大正・昭和期のキリスト教無教会伝道者、
新約聖書研究家

埋葬場所: 8区 1種 6側

 福岡県朝倉郡久喜宮村(朝倉市)出身。福岡で三笠鉱業所の代表を務め炭鉱経営者で弁護士でもあった塚本兎三郎(1861.9.27-1934.5.1:同墓)、茂代(1861.8.4-1952.9.12:同墓)の八人兄弟の2男として生まれる。福岡県立中学修猷館、第一高等学校を経て、1911(M44)東京帝国大学法科大学独法科卒業。東大在学中に内村鑑三(8-1-16-29)の聖書研究会に入会(1909)。大学卒業後、高等文官試験に合格して、農商務省に入省。'19(T8)農商務省参事官を辞職し、聖書研究に専念。
 '23ドイツ留学を予定していた矢先、関東大震災で妻の園子(同墓)を亡くし、「神は愛なり」との声を聞き、回心。ドイツ留学を取りやめ、内村鑑三の助手として、前講をつとめる。内村の主張を尖鋭化し「無教会主義」を主張し、カトリックの岩下壮一と激しい論争をした。
 '29(S4)内村から独立し、東京聖書知識普及会を主宰する。'30雑誌『聖書知識』を刊行(〜'63)。同年、東京聖書研究会(丸の内無教会基督教講演会)を始め、独自の集会を開始した。'31新約聖書の口語訳に着手し、13年後の'44完成。他に『イエス伝研究』、『福音書異同一覧』、『福音書』の翻訳等、多数刊行し、新約聖書学に貢献。聖書学者を多数育成した。享年88歳。

<コンサイス日本人名大事典>
<日本キリスト教総覧>
<海風様より情報提供>


墓所

*墓所は入口の正面に讃美歌 320番「主よ 御許に近づかん」と刻む碑が建つ。右側に和型墓石に十字が刻み「塚本家之墓」、裏面「昭和十年五月一日 塚本虎二 建之」。左側に墓誌が建つ。墓石は昭和拾年五月一日に塚本虎二建之。墓誌には俗名、生没年月日、行年が刻む。

*塚本虎二の妻の園子(1896.1.21-1923.9.1 享年27歳 墓誌には「塚本その」と刻む)は、英語学者の斎藤秀三郎(2-1-4-4)の娘であり、指揮者・チェロ奏者の斎藤秀雄(2-1-4-4)の実姉である。また、長男の塚本晃(1922.2.13-2006.9.24 同墓)は御茶ノ水女子大学教授の生物学者。


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