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つじ せいごう

辻 靖剛

つじ せいごう

1892.6.27(明治25)〜 1981.11.25(昭和56)

大正・昭和期の薩摩琵琶奏者

埋葬場所: 10区 2種 6側 11番

 山梨県石和出身。生家は本居宣長の辻保順守瓶が開いた辻保順病院であり代々医家。 父は山梨の辻保順医院院長を務めた辻直記(同墓)。本名は三寿吉。号を東舟。
 幼少から薩摩琵琶を愛好、児玉天南、池田天舟に師事。1916(T5)天舟らと東京に薩摩琵琶正絃会を創設し初代委員長として正派薩摩琵琶の振興に尽力した。
 戦後は自動車新聞のジャーナリストを務め、後に新聞協会修練部長。並行して琵琶界復興の指導者として活躍し、'59(S34)日本琵琶協会を設立し理事長。また虎ノ門に薩摩琵琶古曲研究所を開いて後継者の養成にあたり、門下生に須田誠舟、清川嵐舟、吉田央舟らがいる。
 作曲に『明暗』『明暗崩れ』『追慕の曲』がある。演奏家としても優れ、妙寿風弾法をよくし、得意曲は『武蔵野』『吉野落』『錦の御旗』など。著書に『精神修養読本心の糧』『琵琶楽器とその製作者』などある。享年89歳。没後、辻靖剛賞が創設された。

<芸能人物事典>
<現代日本人名録 物故者編>
<20世紀日本人名事典>


墓所

*墓石正面「辻家之墓」、裏面は墓誌となっており、辻靖剛の父の辻直記(M39.6.9歿・享年45才)辻保順医院院長(6代目)から刻みが始まり、母の久子(S12.8.30歿・72才)が続く。その後、三郎(M41.6.9歿・享年13才)、守彌(T11.7.12歿・享年3才:靖剛の長男)、春生(S3.12.25歿・享年6才:靖剛の次男)、三枝子(S3.1.18歿・享年2才::靖剛の娘)と早死した子どもたちが続き、靖剛(三寿吉)の刻みとなる。戒名は徹心院絃道靖壽居士。辰典(S23.8.13歿・19才)、純二(S24.7.25歿・当才)、希四郎(S61.9.12歿・86才)、妻のキミ(M34-S61.12.1歿・85才:慈雲院禅室浄君大姉:鹿児島県の医者 湯田吉太郎の娘)、鞠子(H1.6.7歿・85才)が刻む。
 墓所の右側にも墓誌が建ち、「従四位 勲三等瑞寶章」と玉井龍象、妻の玉井禮子(1929-2013.10.28)。禮子は靖剛の娘であり邦生の妹。息子(3男・嫡嗣)で小説家の辻邦生、邦生の妻で西洋美術史学者の佐保子が続いて刻む。邦生のみ戒名があり禅林院文覚邦生居士と刻む。

*辻邦生が辻家の家系を探訪し書いた『銀杏散りやまず』によると、辻家の本籍地は山梨県東八代郡春日居町国府(笛吹市)で代々春日居村国府の医家。生家は本居宣長門下の辻保順守瓶(もりかめ)が開いた辻保順医院(安永2)が起源。5代目までは漢方医、6代目(辻直記)は1893(M26)医師法改正に伴い西洋医学を修め医師免許を得る。7代目、8代目は台湾台中で開業したが、1945(S20)終戦により山梨に引き揚げ、山梨にして8代目、9代目が辻保順医院を継いだ。
 辻家の墓は本籍地の山梨県春日居町国府の大中院にあるが、辻靖剛の母の久子の遺言により多磨霊園に靖剛が建てた。


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