東京出身。祖父は漢学者の徳富一敬(同墓)、祖母は歌人の徳富久子(同墓)、父は新聞人の徳富蘇峰・静子(共に同墓)の四男。
父や兄で次男の萬熊(1892〜1924 同墓)の影響で、全国で出土した奈良時代の瓦や板碑、金石文資料、国内外の資料を蒐集。
三人が集積した資料等は後に「徳富家コレクション」と言われる。この蒐集が本格的し考古学者となり、『考古學雑誌』や『人類學雑誌』に多数の論文を寄稿した。
代表的な調査研究は、1925〜1930の昭和初期に中根君郎と共に調査をした東京大田区の「久が原の遺跡」であり、『東京府久ケ原に於ける彌生式の遺跡・遺物竝其の文化階梯に關する考察(一)〜(三)』を発表し、出土土器は「久が原式」と名づけられた。
また'30(S5)『常陸国上高津貝塚発見の弥生式土器に就いて』を東京考古学会で発表。他に茨城県土浦市上高津貝塚(常陸國上高津貝塚發見の彌生土器に就いて)、茨城県下館市女方貝塚(常陸國眞壁郡伊讃村女方の土器)、千葉県流山市鰭ケ崎貝塚(下總國東葛飾郡流山町鰭ケ崎貝塚)など。主に関東地方の縄文、弥生といった考古資料の蒐集、調査研究を行った。