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とくだ たつ

徳田たつ

とくだ たつ

1898.3.5(明治31)〜 1989.9.6(平成1)

昭和期の社会運動家

埋葬場所: 19区 1種 31側 2番

 静岡県出身。旧姓金原。はじめ徳田耕作と結婚するが、没後に耕作の従弟にあたる徳田球一(同墓)と再婚。
 '27(S2)2月26日徳田球一が3・15事件で逮捕され、以後、'45(S20)10月10日の出獄まで球一は非転向で闘う。 たつは、この獄中18年を獄外から支え、天皇制ファシズムと闘いぬいた。
 '46出獄した徳田球一(同墓)と結婚。戦後、党の再組織、日本民主化と人民闘争の指導者として、全力を挙げて闘う徳田球一を家庭から支えぬく。 '53(S28)10月14日徳田球一は北京で死亡するが、その事実は'55まで明かされず、同年8月25日に徳田たつ、志賀義雄(25-1-76-1)は共産党員としては初めて日本国政府が発行する合法旅券を手にし、遺骨受け取りに中国へ渡った。'62毛沢東と中国共産党の招きにより'72まで中国に滞在。'80日本共産党(行動派)再建。 '81年7月15日東京霊園内に革命英雄記念碑を建立、これは徳田球一、渡辺政之輔、市川正一の三賢人を祭っている碑。'82第2回革命英雄記念祭に参列。同年、丹野セツと共に、徳田・渡政会結成、相談役に就任。 '84日本共産党(行動派)第6回全国協議会に参加し、汚れた宮本修正主義の「六全協」を否定し、徳田球一と日本共産党の革命的伝統の継承・発展たる大武思想の旗のもとに生涯闘い抜くとの挨拶を行った。 '86日本民主主義婦人同盟顧問につづいて(刷新)日本母親大会の相談役として活躍。
 晩年は行動派の生活協同化と肉親の手によって手厚く守られ、輝かしい生涯を送った。老衰のため死去。享年92歳。

<社会主義者人名事典など>


墓所

*同墓所内には社会運動を共に行った同士である岡田文吉とハル夫妻も別の墓石を建て眠る。


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