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たしろ みつお

田代光雄

たしろ みつお

1880.2.25(明治13)〜 1945.3.20(昭和20)

明治・大正期の医学者

埋葬場所: 6区 1種 1側

 東京出身。祖父は南越藩医の田代萬貞(同墓)。父の田代弘(同墓)も南越藩医・内務医官。二男として生まれる。兄は長崎医学専門学校校長の田代正(同墓)。1897 長崎県の医学界で活躍していた兄から家督を継ぎ戸主となる。
 1900(M33)東京外国語学校ドイツ語科を首席で卒業(第一回卒業生)。卒業後、同校の助手、助教授となり、'06 ドイツ語研究のためドイツに留学。帰国後、東京外国語学校の教授に任ぜられる。庶務課長を兼任。東京商科大学や上智大学の講師も務めた。正4位勲3等。享年65歳。

<大衆人事録東京篇>
<人事興信録>


*墓石は和型「田代家之墓」。右側に墓誌が建つ。墓誌は祖父の田代萬貞(文化2.8.7-M19.6.17)から刻みが始まり「南越藩医」と刻む。萬貞の妻は美登(文化12.12.29-M20.10.8)。父の田代弘(天保1.2.3-M29.2.21)には「南越藩医 内務医官」と刻む。弘の妻は楳子(天保14.11.10-S5.2.5)。田代正には「弘長男 長﨑醫學醫學校長 従三位勲二等」と刻む。なお「分骨」とも刻む。田代正の正墓は長崎県長崎市の深崇寺にある。田代光雄には「弘次男 東京外國語學校教授 正四位勲三等」と刻む。光雄の妻は花子(M19.8.20-S17.3.8)。光雄の長男は田代隆(M44.5.21-S3.3.27歿)には「東京高等学校理科生」と刻む。光雄の次男は田代萬雄(T3.9.23-H8.9.15)。萬雄の妻は みち(T13.6.27-H28.3.31)。なお光雄の三男の貞和(T8.12生)は分家。

*田代光雄の妻の花子は東京出身、大蔵省印刷局技師の内田萬次郞(3-1-1-16)長女。兄の内田壮(3-1-1-16)は応用化学者。壮の娘の内田るり子(3-1-1-16)は声楽家・民族音楽研究家。


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