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うちだ そう

内田 壮

うちだ そう

1888.5.30(明治21)〜 1973.3.6(昭和48)

大正・昭和期の応用化学者

埋葬場所: 3区 1種 1側 16番

 東京出身。幕末の志士で大蔵省印刷局技師であった内田万次郎・房(共に同墓)の長男。壮は内田家13世。
 農商務省技手、東京帝国大学講師を経て、1918(T6)東京高工教授。'29(S4)東京工業大学建築材料研究室教授となる。停年退官し名誉教授。その後、関東学院大学教授となった。
 油脂化学、特にテルペンの研究で知られた。'38空襲でも燃えない家をということで、耐火塗料を発明した。 耐火塗料は木材等の建築用材の燃焼性ガスの発生を防ぐため燐鉱石から可溶性耐火剤を作り、木材の内部に浸透させ更にカルシユーム・バリユームを加えて不溶性に変化さすもので、工作は極めて簡単に、しかも三千度の高熱にも耐える優秀な耐火性を持ち、学会その他各方面から注目された。 工業化の展望もされ、建築引受の会社である大日本電力系資本を背景とする愛国化学工業株式会社(資本金百万円)が創立された。同社は社長に筧正太郎(2-1-11)、取締役に穴水嘉三郎、内藤栄、監査役に穴水熊雄(10-1-7)、橋本万之介が就任した。
 主な著書に、『化学工業経営』、『標準女子新化学』(共著)など。享年84歳。娘は声楽家・国立音大名誉教授の内田るり子(同墓)。

<講談社日本人名大辞典など>


墓所

*墓所正面には和型「内田氏墓」と字体も全く同じ墓石が二基並んで建つ。右側の墓石の右面には十二世 内田萬次郎、妻の房(幕臣 根立榮 次女:1970.1.4没 享年103歳)。左面に十三世 内田壮 東京工業大学名誉教授 工学博士と刻む。

墓所

*左側の墓石の右面には、十三世室 内田さと子、十三世長女 内田留里子 国立音大名誉教授 文学博士と刻む。また、墓所右側に寝石「内田家之墓」があり、そこには「昭和元年祖先より十一代に至る累代遺骨を小石川區喜運寺より改葬す」と刻む。更に「内田萬次郎墓誌」と題された碑が建つ。


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