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たのうち さんきち

田内三吉

たのうち さんきち

1856.3.10(安政3.2.4)〜 1940.10.18(昭和15)

明治期の陸軍軍人(少将)、大正・昭和期の宮内顧問官

埋葬場所: 7区 2種 28側 29番

 土佐国土佐郡江ノ口村(高知県高知市)出身。田内銘吾の次男として生まれる。'18(T7)分家。
 1879.2.1(M12)陸軍士官学校卒業(旧2期)。同期に大迫尚道(後の大将:4-1-31-6)らがいた。陸軍工兵少尉に任官し、熊本鎮台附を経て参謀本部測量課に配属される。1882.4 中尉に進み、参謀本部海防局員となり各地の砲台設置調査を行う。1886.3 半年間、イギリス領であったインドに兵制研究の為派遣される。帰朝後に大尉に進級。
 工兵会議御用係、同会議の審査官などを経て、1893 イタリアに留学し、1896 帰朝。この間、少佐に昇進。1898 陸軍砲工学校教官から東宮武官を務める。1899 中佐となる。1902.12.19 大佐に進み、東宮武官を再び務める。'04.2.11 大本営附。
 '08.6.6 少将に昇進し、予備役に編入され、宮中顧問官に転じた。'11.4.1 後備役。退役後も皇族に仕えた。'12.7.30 東宮侍従を兼務。'13.2.6(T2)式武官を兼任。
 '14.7.14(T3) 閑院宮付別当となる。宮中顧問官は継続兼任。翌年、澄宮御養育掛長となり、'38(S13)三笠宮となるまで務めた。その間、'28(S3)大礼使典儀官も務めた。正3位 従3位 勲1等。享年84歳。

<高知県人名事典>
<帝国陸軍将軍総覧>
<人事興信録>


*墓石は和型「田内家之墓」、左右面が墓誌となっており、左面に三吉の名が刻む。

*妻の龍は藤井守馬(佐々木高行の娘婿)の二女。田内三吉と龍の間には5男4女を儲ける。長男の田内一郎は陸軍歩兵大佐。二男は二郎、三男は三郎、四男は四郎、五男は五郎。長女の多鶴は陸軍中将の山室宗武(15-1-1)に嫁ぎ、二女の久は陸軍中将の橋本虎之助(13-1-7)に嫁ぎ、四女の みよ は楠瀬熊治の長男の好毅に嫁いだ(楠瀬家:13-1-15-12)。

*長男の田内一郎(たのうち いちろう:1893.11.5生)は東京出身。1915.5.25(T4)陸軍士官学校卒業(27期)。同.12.25 歩兵少尉に任官。中央特殊情報部教育部長を経て、'45.4.14(S20)大佐となり陸軍歩兵学校附、同.6.5 独立混成第39連隊長となり終戦を迎えた。勲4等。


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