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たにぐち まさはる

谷口雅春

たにぐち まさはる

1893.11.22(明治26)〜 1985.6.17(昭和60)

昭和期の宗教家(生長の家・創始者)

埋葬場所: 5区 1種 18側 12番

 兵庫県八部郡烏原村(神戸市兵庫区)出身。音吉・つるの六人兄弟の次男として生まれる。4歳の時に資産家の石津又一郎の家に養子に出され、石津家のおかげで早稲田大学英文科に進学。
 20歳の時に17歳の前科もちの娘の房江と同棲することになり、妊娠、流産騒ぎをおこし、支援をしていた石津家からも見放され、警察沙汰となった。 この一連の騒動により、娘の房江は親元の借金のかたとして台湾の芸者として売り飛ばされ、谷口は大学で常に首席の優等生であったが、1914(T3)中退せざるをえなくなった。 大阪の摂津紡績で技術工として働くが、二人の女性問題が絡んで再び転落する。妓楼で性病に罹患してしまい、他の女性へもそれを移したと思い込み苦悶する。 「遠隔から彼女を治すことができないか」と考えたのがきっかけで、心霊療法や催眠術に関心を持つ。
 このような零落な人生に対し、失われた自己の尊厳の回復を求めていた時に、大本教を知り京都府綾部を訪ね求道生活に入る。 '20.11.22大本教の信者であり親交があった江守輝子と結婚。文才を買われて機関誌の編集を任され、出口王仁三郎の『霊界物語』の口述筆記に抜擢されるなど教団内で嘱望されていた。 しかし、大本事件などを契機に教団に疑念を抱くようになり、最後の審判の日と予言された'22.5.5が何事もなく過ぎると、半年後に妻とともに脱退。 身籠の妻と関東大震災で被災するが助かり、妻の郷里の高岡に疎開、妻は長女の恵美子を出産した。 大本教脱退後は、同じく脱退した浅野和三郎が旗揚げした『心霊科学研究会』で宗教・哲学的彷徨を重ね、一燈園の西田天香らとも接触した。 特に当時流行していたニューソート(自己啓発)の強い影響を受け、これに『光明思想』の訳語を宛てて機関紙で紹介したこともある。 また、賀川豊彦(3-1-24-15)のところにも赴くなど、魂の救われる場所を求め様々な経験を積んでいた。 '24米国フェウィック・ホルムスの『心の創造活動の法則』を読み、「自我は拡散して無限我になる」黙想法を体得。翌年、外資系石油商ヴァキューム・オイル・カンパニーに翻訳係の仕事に就き、家族で神戸市御影町に転居した。
 毎朝起床して神社に参拝し、自宅で瞑想することを日課としていたが、'29.12.13(S4)静座合掌瞑目をしていたところ、ふと「色即是空」(しきそくぜくう)の句が思い浮かび、続いて「物質はない・・・無より一切を生ず・・・実相がある・・・」との神啓を聞いたという。 「人間・神の子」善一元の世界、万教帰一の啓示を受け、この真理を万人に伝えたいとの悲願の下に個人雑誌『生長の家』誌を、1930.3.1(S5)創刊。 仕事を辞め、文筆活動でニューソート流の成功哲学を全世界に宣布せんとの志を立て、以後、同誌の普及に力を注ぐ。発刊の辞は「自分はいま生長の火をかざして人類の前に立つ」。'35教勢発展に伴い一家で東京に上京。'36教化団体「生長の家」を創立した。
 戦時中は軍国主義日本に賛同的姿勢を取る。戦後は海外巡錫をするなど精力的に布教に励む。教祖の著述への志向を反映して、生長の家は雑誌購読者の団体として大きくなり、メディアを通じて東西の思想・宗教をとりまぜた多彩な教義へ発展していった。 信徒には専ら「大聖師」と呼ばれる。また、GHQ主導で作成された憲法を批判し明治憲法復元運動などの言動で注目を集めた。 主著『生命の實相』は通算1,900万部を超え、今なお多くの人々に読み継がれている。このほか『眞理』(全11巻)、『新選谷口雅春選集』(全20巻)、『新選谷口雅春法話集』(全12巻)、『谷口雅春著作集』(全10巻)等があり、生涯の著作は400冊以上といわれる。
 '75長崎県西海市に生長の家総本山を移転し、晩年は妻の輝子と共に総本山内にある総裁公邸に住み、講話や文筆活動を行った。享年91歳。 谷口雅春没後は、妻の輝子自身が総裁を務めていた白鳩会総裁の座を一人娘の恵美子に譲り、生長の家総裁は恵美子の夫で婿養子の清超(同墓)とした。現在は清超と恵美子の二男である谷口雅宣が第3代総裁に就任している。

<コンサイス日本人名事典>
<新宗教の本など>


墓 墓所

*墓石は「谷口家之墓」。右側に墓誌があり、解脱名(戒名)は「実相無相光明宮大真理説授正思惟大聖師」。俗名と没年月日も刻む。なお、生長の家総本山にも「谷口家奥津城」の墓所があり分骨埋葬されている。

*墓誌より、清超・恵美子の長男である谷口雅教が眠っていることがわかる。1949に生後一年も経たずに亡くなっており、戒名は實相光明宮雅教天童子。


【生長の家】(せいちょうのいえ)
立教昭和5年3月1日
本尊生長の家大神と仮に称するが、教義においては生長の家とは「大宇宙」の別名であるから、大宇宙の本体者の応現または化現と認められる。正しき宗教の救いの本尊たるものは、いかなる名称の神仏も、わが宗教の本尊として礼拝するのである。また、本尊を現す像などは造らないため、「実相」を唯一の真理として礼拝し、その書を掲げている。
信徒数1,683,227人(日本国内 651,119人/日本以外 1,032,108人)
講師数22,995人(日本国内 15,793人/日本以外 7,202人)
布教施設442ヵ所(日本国内 129ヵ所/日本以外 313ヵ所)
*信徒・講師・布教施設の数は、平成22年(2010年)12月31日現在。



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