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たにぐち てるこ

谷口輝子

たにぐち てるこ

1896.3.7(明治29)〜 1988.4.24(昭和63)

昭和期の宗教家(生長の家)

埋葬場所: 5区 1種 18側 12番

 富山県富岡市出身。旧姓は江守。富山県立高岡高等女学校卒業。
 1919(T8)姉の勧めで大本教に入信。'20.11.22大本教の信者であり親交があった谷口雅春と結婚。今井梅軒媒酌にて結婚式をあげる。'22大本教の教義に疑問を感じた夫に同伴する形で脱退。 翌年、妊娠中に関東大震災に遭遇するも助かり、夫と共に郷里の高岡に戻り、兄の助けを受け長女の恵美子を出産。その後は神戸の夫の実家に転居した。
 '30(S5)『生長の家』誌を創刊し、'35教勢発展に伴い一家で東京に上京。'36教化団体「生長の家」が設立されると、婦人の組織として「生長の家白鳩会」を結成する。 夫の個人指導をした親子が返礼として贈った白鳩の帯留めが名前の由来であり、白鳩は平和や万物調和の象徴とされているところから命名された。 自ら同会の総裁となり、「人間・神の子」善一元の世界、万教帰一の真理を万人に伝えるべく、夫に同行し海外巡錫をするなど精力的に布教に励む。信徒には専ら「聖姉」と呼ばれる。
 '75長崎県西海市に生長の家総本山を移転し、総本山内にある総裁公邸に住み、講話や文筆活動を行った。夫の死去に伴い、'85娘の恵美子に白鳩会総裁を譲る。 また、生長の家総裁は恵美子の夫で婿養子の清超(同墓)とした。主な著書に『新版女性の書』『女性に生れ愛に生き』『師と仰ぎ夫と仰ぎて』など多数ある。享年92歳。

<日本女性人名辞典など>


墓 墓所

*墓石は「谷口家之墓」。右側に墓誌があり、解脱名(戒名)は「実相無相光明宮光輝至心浄妙聖姉」。俗名と没年月日も刻む。なお、生長の家総本山にも「谷口家奥津城」の墓所があり、夫の谷口雅春らと分骨埋葬されている。


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