メイン » » » 谷口清超
たにぐち せいちょう

谷口清超

たにぐち せいちょう

1919.10.23(大正8)〜 2008.10.28(平成20)

昭和・平成期の宗教家(生長の家)

埋葬場所: 5区 1種 18側 12番

 広島県広島市出身。旧姓は荒地。父は裁判官の荒地清介・多加子の子。東京帝国大学文学部心理学科卒業。大学卒業後、軍役に就くが、肺を患い病院に入院。 相部屋の上等兵から谷口雅春(同墓)の『生命の實相』を見せられ感化。戦後、神戸で翻訳・文筆業をしていた谷口雅春の翻訳助手となる。 雅春・輝子の一人娘である恵美子と両想いの関係となり、それを知ってか知らずか雅春・輝子は清超の人間性と才能を高く評価していたこともあり、結婚を提案。 1946.11.13清超は谷口家の婿養子として恵美子と結婚した。
 '57(S32)谷口雅春が生長の家総裁の就任と同時に、副総裁に就任。雅春と共に海外も含む全国各地での講習会指導、各種発行雑誌への執筆など布教活動を精力的に行い、雅春の補佐をした。 '78雅春と輝子が長崎の生長の家総本山へ移住した頃より、事務面での実質的教団運営を行いはじめ、右翼的な色合いの強い運動の修正や、'83には生長の家政治連合の活動停止を指示した。
 '85.6.17雅春が死去し、輝子より第2代生長の家総裁を任命、妻の恵美子も輝子から生長の家白鳩会総裁を引き継いだ。'89(H1)両軸体制をスタートさせ、組織面の改革を実施。 翌年には当時教団の副理事長であった二男の谷口雅宣を副総裁に指名した。'93「国際平和信仰運動」を旗揚げし、純粋信仰面を強化した教団運営を行った。 文書伝道に力を注ぎ、存命中に229冊の著書を発行した。2005.2頃より体調を崩し、以後は東京の総裁公邸にて療養生活を送る。老衰のため逝去。享年89歳。 2008.12.17教団葬に当たる「追善供養祭」が営まわれた。2009.3.1立教記念日に二男で副総裁を務めていた谷口雅宣が第3代総裁に就任した。

<日本教文社発刊著者略歴など>


墓 墓所

*墓石は「谷口家之墓」。右側に墓誌があり、解脱名(戒名)は「実相無相光明宮弘誓通達大慈意大聖師」。俗名と没年月日も刻む。

*恵美子との間に3男2女を儲けている。長男の雅教は生後一年も経たずに'49亡くなっており、同墓所に眠っている。戒名は實相光明宮雅教天童子。生長の家に直接関わっているのは、二男の雅宣のみである。三男の娘であり孫にあたる谷口あかりはバレエダンサー、ミュージカル女優である。


谷口恵美子 たにぐち えみこ
1923.10.10(大正12)〜ご健在
昭和・平成期の宗教家(生長の家)
 富山県高岡市出身。生長の家創始者の谷口雅春・輝子の長女。香蘭女学校卒業。
 1946(S21)谷口清超と結婚。三男二女の母。1985〜2009(S60〜H21)生長の家白鳩会総裁。 主な著書に、詩集『鏡の中に』、『心の散歩道』、『心の散歩道 その2』、写真集『花とあそぶ』、『身近な四季 春から夏へ』、『身近な四季 秋から冬へ』、随筆『わたしの玉手箱』、『やさしく呼んであげて』、講話集『神さまからのいただきもの』、『すべてのものは美しい』などがある。

<日本教文社発刊著者略歴など>


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・た | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。