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たなか ただお

田中忠雄

たなか ただお

1903.11.27(明治36)〜 1995.4.26(平成7)

大正・昭和期の洋画家、キリスト教美術家

埋葬場所: 22区 2種 36側

 北海道出身。父は牧師の田中兎毛・せい(共に同墓)の子。1911(M44)札幌農学校で有島武郎(10-1-3-10)が主宰する黒百合会の展覧会で初めて油絵を見る。 '14(T3)父が神戸女子神学校教頭・兵庫教会牧師になったため一家で神戸に転居。'20兵庫教会で父より受洗。京都高等工芸学校(京都工芸繊維大学)卒業し、'24東京市の技手となり、関東大震災後の復興に関する仕事に携わる。
 '26二科展に初入選。前田寛治に絵の指導を受ける。'29(S4)福岡組合教会牧師の中村正路(22-2-36 墓所は隣り)の長女の志津(1906-2004 同墓)と結婚。 '30〜'32絵の勉強のためフランス留学。'43二科会会員となる。'45空襲により自宅焼失、札幌に疎開する。終戦後、上京して向井潤苦らと行動美術協会設立に参加。 '49東京都北多摩郡久留米村に移転。占領下の日本を古代ローマ帝国に占領されたエルサレムに重ね合わせ、聖書の主題に現代社会が抱える諸問題を見出し、この頃よりキリスト教主題とする作品やステンドグラスを制作しはじめる。この取り組みはキリスト教美術の発展に多大なる功績を残すことになった。
 '58武蔵野美術学校講師、後に教授。'60毎日芸術賞受賞。欧米へ長期旅行に出て約300枚のスケッチを行う。'64日本美術家連盟理事長就任。'69長男の田中文雄(同墓)との共著『名画にみるキリスト』(保育社)を出版。 '74武蔵野美術大学を停年退官、名誉教授。同年、キリスト教美術協会を結成。'76紺綬褒章受章。'77勲4等旭日小綬章受章。作品に『トマスの疑い』などがある。東久留米市の自宅アトリエで逝去。享年91歳。

<講談社日本人名大辞典>
<田中忠雄回顧展プロフィール>


墓所
中村家 中村正路之墓

*正面洋型十字を刻み「田中家」。裏面が墓誌となっている。左側に「田中家先祖之墓」と刻む石塔が建つ。忠雄の妻の志津の父でキリスト教伝道師の中村正路が眠る中村家の墓所は右隣りである。


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