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なかむら まさじ

中村正路

なかむら まさじ

1875.5.12(明治8)〜 1941.11.8(昭和16)

キリスト教指導者

埋葬場所: 22区 2種 36側

 熊本県出身。熊本藩士中村市太郎の長男として生まれる。叔父の中村亀三郎(後に聖公会司祭)の下で育った。
 1888(M21)熊本英学校に入学し、海老名弾正(12-1-7-18)の薫陶を受けた。亀三郎の勧めで1893立教大学校(立教学院)入学。 1896東京三一神学校に進学し、1899卒業。その後、組合教会に転じて、1902大阪教会の伝道師となり、宮川経輝の指導を受けた。 '03第5代の鳥取教会の牧師に着任。'05横山さの(同墓)と結婚。'06福岡に移り、福岡(福岡警固)教会の牧師に就任した。 '09同教会を伝道会社から独立させ自給教会とするために尽す。'11九州帝国大学設置以降、積極的な教勢拡大に努力し成功した。
 '18(T7)組合教会の留学制度により渡米、ユニオン神学校、オベリン大学で研究し、'20帰国。 '29(S4)呉服町から移転、福岡警固教会会堂を新築。'39同教会を辞し、東京の城南(代官山)教会の第4代の牧師に就任した。 また興亜神学院が城南教会を仮校舎としたのに伴い、同院の教育にも携った。中村正路の自由神学的思想は多分に東洋思想を基盤にした発想があったといわれる。 訳書にオー・ヘーリング『諸名士基督教観』、グンケル『創世記概論』などがある。脳出血のため逝去。享年66歳。

<日本キリスト教歴史大事典>
<鳥取教会百年史>


墓所 中村正路之墓
田中家

*墓所正面に洋型十字を刻み「中村家」。裏面が墓誌となっている。墓石右隣り後ろに自然石の「中村正路之墓」もある。右側手前に洋型「丸山家」が建つ。 左隣りの墓は、中村正路の長女の志津が嫁いだ田中家の墓域で、正面洋型十字を刻み「田中家」。裏面が墓誌となっている。左側に「田中家先祖之墓」と刻む石塔が建つ。

*中村正路の妻はサノ(1875-1966 同墓)、長男は中村正夫(1919-1993 同墓)。なお、長女の志津が嫁いだ田中家は、夫の田中忠雄は洋画家・キリスト教美術家。 忠雄の父はキリスト教伝道師の田中兎毛。忠雄と志津の息子は国際基督教大学名誉教授・キリスト教美術史家の田中文雄。全員同じ墓で眠る。


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