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たなか ともう

田中兎毛

たなか ともう

1864(元治1)〜 1934(昭和9)

明治・大正・昭和期のキリスト教伝道師

埋葬場所: 22区 2種 36側

 和泉国南郡岸和田(大阪府岸和田市)出身。岸和田藩士の家。
 同志社大学在学中に、新島襄の指示で大学を中退し、仙台の東華学校に教師として赴任。後、札幌に入り、札幌組合基督教会牧師として活動した。1893(M29)日本基督教団札幌北光教会初代牧師となる。 1903.5女性最初の伝道師である加藤常子を婦人伝道師として同教会に招き、12年間共に働いた。この間、1897札幌の宣教師ローランド博士と共に、小樽を伝道地と定め信者宅で集会を始める。 '06.1.15上原駒次郎、三島常磐ら14名と発起人となり、札幌区に「札幌孤児院」設立を計画、趣意書を発表した。'08札幌育児園で監督を務めていた上原駒次郎が退任により、初代理事長に選任される。'10.5.12 札幌育児園は内務省の法人設立許可がおり、名称も「社団法人札幌育児園」と改め再スタートした。
 '14(T3)神戸女子神学校教頭として赴任し、兵庫教会牧師に着任。息子である洋画家の田中忠雄(同墓)に兵庫教会で授洗した。岸和田の地で急逝。享年70歳。山岡家で葬儀を営んだ。

<新婦人協会の人びと(加藤常子の頁)など>


墓所
中村家 中村正路之墓

*正面洋型十字を刻み「田中家」。裏面が墓誌となっている。左側に「田中家先祖之墓」と刻む石塔が建つ。妻は せい。息子は洋画家・キリスト教美術家の田中忠雄。孫は国際基督教大学名誉教授・キリスト教美術史家の田中文雄。 全員同墓所に眠る。忠雄の妻の志津の父は、同じキリスト教伝道師の中村正路で、右隣りに墓所がある。墓所正面に洋型十字を刻み「中村家」。裏面が墓誌となっている。墓石右隣り後ろに自然石の「中村正路之墓」もある。右側手前に洋型「丸山家」が建つ。


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