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たけこし よさぶろう

竹越與三郎

たけこし よさぶろう

1865(慶応1.10.5)〜 1950.1.12(昭和25)

明治・大正・昭和期の史学評論家、政治家

埋葬場所: 5区 1種 21側

 埼玉県本庄出身。清野仙三郎の二男。1883(M16)竹越藤平の養嗣子となった。
 慶応義塾中退後言論界に入り、大阪公論、時事新報、国民新聞各記者を歴職、この間『新日本史』『二千五百年史』を著して陸奥宗光、西園寺公望(8-1-1-16)の知遇を受け、1896雑誌『世界之日本』主筆となった。 1898伊藤内閣の西園寺文相の下に文部省勅任参事官となり、翌年渡欧して各国を視察した。 1902以来、衆議院議員に当選五回、立憲政友党に属し、1922(T11)宮内省の臨時帝室編修局御用掛、同編修官長、翌年には貴族院議員、1940(S15)枢密顧問官に任ぜられた。 この間、1915(T4)以後本野一郎、池田成彬らと日本経済史編纂会を起し、1919『日本経済史』八巻を刊行、以後の日本経済史学確立の一礎石となった。 徳富蘇峰(6-1-8-13)、山路愛山らとも親交があり、終始在野精神を堅持し、わが国民間史学の一系譜をなした。ほかに『台湾統治史』『陶庵公』などの著書がある。婦人運動家である竹越竹代は妻である。

<日本人名大事典 現代>
<森光俊様より写真提供>


*漢字表記を竹越与三郎とするものもある。また、号である三叉を使用し作家名、竹越三叉(たけこし さんさ)として多くの著作を残した。


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