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どひ かずお

土肥一夫

どひ かずお

1906(明治39)〜 1988.10.25(昭和63)

昭和期の海軍軍人(中佐)、台湾海軍創設者

埋葬場所: 8区 1種 12側

 熊本県球磨郡多良木村出身。陸軍大佐の土肥金在(同墓)の長男。
 1926.3.27(T15)海軍兵学校卒業(54期)。同期に大石宗次(後に中佐:7-1-3)、鹿島萩麿(元皇族・後に大尉:多磨霊園合葬式墓地)らがいる。少尉候補生を経て、'27.10.1(S2)少尉に任官。'29.11.30 中尉となり蓬乗員、'32.12.1 鳥海乗員を経て、同.12.1 大尉に進み、運用術練習艦航海学生となる。菊月航海長、'34.11.1 漣航海長、練習艦隊参謀 兼 副官、'36.12.1 朧航海長、'38.6.1 球磨航海長を歴任した。
 同.11.15 少佐に昇進し、川内航海長に着任。また海軍大学校に入学し、父の教え子の高木惣吉(海軍少将)に学ぶ。'40.6.17 海軍大学校卒業(53期)。同.10.15 連合艦隊の第4艦隊航海参謀に就任。'43.6.1 中佐に昇格し軍令部員となる。終戦近くには皇統護持作戦に関わる。
 戦後、'51 台湾に移った中華民国の蒋介石に請われて台湾に渡り、中華民国の海軍を指導し、台湾の海軍の創設に貢献した。'62 帰国後は史料調査会に勤務した。'81 『海軍』(全15巻)の編集を主管した。正6位 勲3等。享年82歳。葬儀の際には台湾からも多くの弔問客がおとずれた。

<日本海軍士官総覧など>


墓所

*墓石前面「土肥家之墓」、裏面「昭和七年六月四日建之 土肥一夫」。墓所左に「故海軍大佐 土肥金在先生」碑が建つ。この碑は4回忌(S8.2.26)に織月寮出身者有志によって建てられた。墓所右に墓誌が建つ。父の土肥金在から刻みが始まる。母は春(S51.3.1没・行年90才)。土肥一夫の戒名は優海院寿勲一誠居士。一夫の妻は勲子(S63.4.27没・72才)。


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