≪略歴詳細をご存知の方はご一報ください≫
海軍兵学校54期を首席で卒業(恩賜の短剣授与)。同期に土肥一夫(後に中佐:8-1-12)、鹿島萩麿(元皇族・後に大尉:多磨霊園合葬式墓地)らがいる。御下賜品拝受者には、大石宗次、藤森正巳、中山定義、中島親孝の4名がいる。
海軍大学校36期も首席で卒業(恩賜)。戦時中は駐仏武官補佐官を務める。享年81歳。
日露戦争で活躍し、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公として有名な海軍中将の秋山眞之の次女、宜子(たかこ)と結婚。’36.8.26長女の尚子誕生。娘の大石尚子は政治家。
*墓石は和型「大石家之墓」。裏面と右面が墓誌となっており、大石宗次は右面に刻む。戒名は金剛院眞照宗道居士。大石鳥之助が建之者。
秋山眞之 あきやま さねゆき
1868.3.20(明治1)〜1918.2.4(大正7)
墓所は青山霊園と鎌倉霊園
伊予松山出身。秋山平五郎久敬と貞の五男として生まれる。兄(三男)の秋山好古は陸軍大将。松山中学時代に俳人の正岡子規と同級。
1890(M23)海兵17期卒業。1905日露戦争では東郷平八郎司令長官のもとで連合艦隊の作戦参謀として、日本海海戦でバルチック艦隊を撃破。
「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」の有名な電文を残す。第一次世界大戦では軍務局長として活躍。'17中将。翌年没した。享年49歳。妻は季子、その間に長女の宜子がおり、大石宗次に嫁いだ。
大石尚子 おおいし ひさこ
1936.8.26(昭和11)〜 2012.1.4(平成24)
昭和・平成期の政治家
広島県江田島出身。母方の祖父は日露戦争で活躍した海軍中将の秋山眞之。大石宗次と宜子の長女として生まれる。
横浜国立大学学芸学部心理学科卒業。神奈川県立外語短期大学講師などを務めた後、1971(S46)民社党の曽祢益の薦めにより、神奈川県議会議員選挙に立候補し当選。
以後、5期18年務める。民社党では中央執行委員、女性局長。他に、日本民主婦人の会会長、(財)富士社会教育センター評議員、(財)神奈川フィルハーモニー管弦楽団理事など務める。
'89(H1)参議院議員選挙に民政党公認で立候補するも落選。3回の落選後、2000衆議院議員選挙で民主党公認、神奈川4区で出馬し初当選。2期務める。
防衛庁副長官などを歴任し、2002現職国会議員として初めて、テロ対策特別措置法に基づきインド洋へ派遣された海上自衛隊艦船を訪問。
2007参議院議員選挙にて民主党比例区で出馬し、次点で落選するも、山本孝史の逝去に伴い繰り上げ当選。民主党政策審議会副会長、参院懲罰委員長などを歴任した。
同党内では旧民社党系グループに所属。他に民社協会理事、A.K.I.合気道研究会インターナショナル会長、記念艦 三笠保存会評議委員などを務めた。
呼吸不全のため東京都内の病院で逝去。享年75歳。没後、従4位に叙され、旭日中綬章が追贈。神奈川県鎌倉市の斎場にて告別式が営まれた。
*墓石には尚子の刻みはないため、同墓地に眠るかは不明。
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