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すずき ちよこ

鈴木千代子

すずき ちよこ

1910(明治43)〜 1957.5.22(昭和32)

昭和期の政治家(三鷹 初の女性議員)

埋葬場所: 10区 1種 17側

 産婦人科医の鈴木平三郎(同墓)に嫁ぐ。東京府三鷹町(東京都三鷹市)在住。3男1女を儲ける(1男は早死)。平三郎が軍医として戦地の中国北京に転属されるや、子ども三人を連れて現地に赴くバイタリティ溢れる婦人であった。
 終戦後、'46 平三郎が復員し、共に社会党に入党。日本国憲法公布とともに新しい地方自治法が施行され、第一回の地方選挙が '47(S22)に行われた。三鷹町では労働組合、農民組合を中心とする革新勢力が連携して、農民組合長であり三鷹町役所税務職員の吉田賢三郎が町長となる。同時に行われた三鷹町議会議員選挙に「婦人の地位の向上と平等」を掲げ、社会党から立候補。女性として唯一かつ初めての議員として当選した。この時、37歳。千代子の当選はその後の女性市議の活躍に先駆的な役割を果した。
 議員として保育園設立など社会福祉に取り組み、民間の婦人会館設立にも尽力。また厚生委員長や総務委員長などを務めた。在任中、'49.7.15 三鷹の名を全国的に有名にした国鉄三大ミステリー事件の一つである「三鷹事件」が起こっている(詳しくは喜屋武由放の頁へ)。
 夫の平三郎は日本社会党入党北多摩支部長を務めながら、疫学研究に取り組んだ。また、GHQ指令に基づき、新しい警察法が公布され、自治体警察が創設された際には三鷹町の初代公安委員長を歴任。
 '50.11.3(S25)三鷹は市制を施行し、三鷹町長であった吉田賢三郎が初代市長に就任。半年後、'51.4.30 渡邉萬助(20-1-58)が無投票で当選し、2代目三鷹市長に就任。武蔵野市との合併否決の責任をとって渡邉萬助が辞職。
 '55.4(S30)初めて投票が行われた三鷹市長選に社会党左派から夫の平三郎が立候補。千代子は全面的に支え当選。同.5.1 鈴木平三郎は第3代目三鷹市長に就任した。夫が市長就任二年後に逝去。享年47歳。なお、夫の平三郎は、'75(S50)まで5期20年間三鷹市長を務め、現在の三鷹市の礎を築いた。
 2019.5(R1)長女の鈴木紀子が『鮮烈なる人 鈴木千代子』を自費出版されている。

<「自治先進都市三鷹はいかに築かれたか」大本圭野>
<墓誌碑より>


墓所
鈴木千代子
裏面

*墓所には3基建つ。入口右手側にデスマスクが正面に埋め込まれている墓石「鈴木千代子 墓」、裏面「社会党都夫人部長 三鷹市議会議員 婦人会館創設者 昭和三十二年五月二十二日 死去」。左にデスマスクが正面に埋め込まれている鈴木平三郎と千代子の息子で早死した墓石「鈴木攝己 墓」、裏面「昭和七年四月六日死去」が建つ。入口正面に前面に十字架に「ルカ 鈴木平三郎 / トマス 鈴木利和」の墓石が建つ。裏面に「生命の尊重と その生存の平等の享有 鈴木平三郎」と平三郎の略歴が刻む。右面「昭和五十九年三月三日建之 鈴木寿美 鈴木克己 鈴木紀子 鈴木達巳 鈴木利和 鈴木摩里」。左面に鈴木利和(R2.7.5歿)が刻む(利和没後に前面に父の名と連名で刻まれた)。


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