歴史が眠る多磨霊園 |
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正田十吉 | |
しょうだ じゅうきち | |
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大正・昭和期の海軍軍人(機関大佐)、 | |
埋葬場所: 10区 1種 4側 | |
岡山県出身。1911.7.31(M44)海軍機関学校卒業(20期)、同期に鉾立金矢(後の中将・21-1-11)らがいた。機関少尉候補生となり、翌年.12.1少尉に任官。'14.12.1(T3)中尉、'17.12.1大尉、'23.12.1少佐と累進し、広島工廠航空機部員に着任。'28.12.10中佐に進級し海軍航空本部付となり、'29(S4)『我國の工業と航空機材』を著した。 <日本海軍士官総覧> *墓所内には正面に「正田家之墓」、左側に「槇野家之墓」、右側に「鈴木家之墓」が並んで建つ。正田家の墓石の裏面は「昭和十三年十二月 正田十吉 建之」と刻む。槇野家の墓石の裏面は「平成七年八月 槇野昌子 建之」と刻む。鈴木家の墓石の裏面は「平成十年五月 進二久勝匡邦之建」と刻む。墓所右側に墓誌が二つ並ぶ。正田家と鈴木家の併せた墓誌である。正田十吉の戒名は大廉院十身調御居士。妻はの乃。十吉の長男の正田一郎は殉職(29歳歿)、三男の秀郎も23歳の若さで没している。十吉の次男は吉信。鈴木敬彌は海軍少佐。墓石に「従五位 勲四等瑞宝章」と刻み、戒名は大賢院祥覚敬法居士。妻は鮎子。敬彌の三男の鈴木匡邦も眠る。墓所左側にある墓誌が槇野家の墓誌で「正四位 勲二等 第六十九代 警視総監 瑞岳院法光智勇居士」と刻む。妻は昌子。
鈴木敬彌 すずき けいや <日本海軍士官総覧>
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