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ほこたて きんや

鉾立金矢

ほこたて きんや

1890.6.12(明治23)〜 ?

明治・大正・昭和期の海軍軍人(中将)

埋葬場所: 21区 1種 11側

 鹿児島県出身。1911.7.31(M44)海軍機関学校卒業(20期)、同期に正田十吉(後に大佐:正田飛行機製作所・10-1-4)らがいた。海軍機関少尉候補生として津軽乗組。'12.3.9 磐手乗組を経て、同.12.1(T1)少尉となり、'13.6.9 須磨乗組、同.7.10 待命。同.12.1 朝日乗組、'14.4.4 比叡乗組、同.8.23 津軽乗組を経て、同.12.1 中尉となり、夕凪乗組。'15.12.13 機関校普通科学生として学校に通う。'16.6.1 摂津乗組、同.7.26 待命。同.12.1 大尉になって、横須賀海兵団分隊長に就任。以降、'18.1.25 平戸分隊長、'19.8.26 安芸分隊長、同.12.1 海軍大学機関学生となる。
 '21.12.1 第1水雷戦隊参謀、'22.12.1 少佐となり、海軍機関学校教官及び監事。'24.7.25 軍需局局員、'25.12.1 艦本部員、'27.3.10(S2)聯合艦隊司附、同.12.1中佐となり、加古機関長に就任した。'28.12.10 横須賀空機関長、'29.11.1 霞ケ浦空機関長 兼 教官、'30.4.1〜'31.1.5 欧米各国に出張。同.12.1大佐に昇格して、霞ケ浦航空隊整備長に着任した。'32.12.1 第1航戦機関長、'33.10.20 広工廠総務部長、'34.6.1 広工廠航空機部長、'35.11.15 艦本出仕、'36.7.1 総務部第3課長事務取扱、'37.12.1 海軍少将に昇進。
 '38.4.1 航本補給部長、'40.11.15 呉鎮出仕、'41.10.1 第11空廠長を歴任し、同.10.15 海軍中将に累進し、同.11.20 広工廠長を兼務したが、同.12.8 太平洋戦争が勃発したため、同.12.15 兼任を免除され、第11空廠長に専念した。'44.8.12 堀内茂礼中将の後を継ぎ、福岡軍需監理部長に転属、'45.3.10 同次長となり、本土決戦の準備に入るも、終戦。同.9.15 予備となった。

<帝国海軍提督総覧>
<日本海軍将官総覧>


墓所正面
墓所右側 鉾立一 翁之像

*墓所には5基建つ。正面に「鉾立家先祖代々之墓」、並んで右に「鉾立清高之奥城 / 美壽之奥城」、並んで左に「鉾立一之奥城 / 淑之奥城」。 墓所右側に、左から「鉾立金矢家代々之奥城」、「鉾立勇家代々之奥城」が建つ。墓所左側には「分家 第二代 鉾立一 翁之像」が建つ。


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