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まきの いさむ

槇野 勇

まきの いさむ

1917.4.18(大正6)〜 1994.11.2(平成6)

昭和期の警視総監

埋葬場所: 10区 1種 4側

 奈良県五条市出身。1941(S16)東京帝国大学政治学科卒。 '56大阪府警察本部刑事部長、'58警察庁関東管区警察局公安部長、'63刑事局捜査第一課長、のち警務局人事課長を経て、'65警視庁刑事部長、'67警務部長、'69警視庁副総監、'72警視総監を歴任。 '75退官後、'84まで日本道路交通情報センター理事長をつとめた。'87勲二等瑞宝章。

<現代物故者事典1994-1996>
<MATHU様より情報提供>


まきの いさむ

*墓所内には正面に「正田家之墓」、左側に「槇野家之墓」、右側に「鈴木家之墓」が並んで建つ。正田家の墓石の裏面は「昭和十三年十二月 正田十吉 建之」と刻む。槇野家の墓石の裏面は「平成七年八月 槇野昌子 建之」と刻む。鈴木家の墓石の裏面は「平成十年五月 進二久勝匡邦之建」と刻む。墓所左側にある墓誌が槇野家の墓誌で「正四位 勲二等 第六十九代 警視総監 瑞岳院法光智勇居士」と刻む。妻は昌子。墓所右側に墓誌が二つ並ぶ。正田家と鈴木家の併せた墓誌である。正田十吉の戒名は大廉院十身調御居士。妻はの乃。十吉の長男の正田一郎は殉職(29歳歿)、三男の秀郎も23歳の若さで没している。十吉の次男は吉信。鈴木敬彌は海軍少佐。墓石に「従五位 勲四等瑞宝章」と刻み、戒名は大賢院祥覚敬法居士。妻は鮎子。敬彌の三男の鈴木匡邦も眠る。


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