東京都出身。父は教育者・国史学者の下村三四吉、よし(共に同墓)の三男。兄は地理学者の下村彦一(同墓)。
1920(T9)東京高等師範学校附属中学校、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業。裁判官生活と司法省への出向を2度繰り返した後、松江地方裁判所所長、東京高等裁判所判事、最高裁判所事務総長、仙台高等裁判所長官、東京高等裁判所長官を歴任し、'65.9(S40)最高裁判所判事に就任した。
'57東京高裁判事時代に最高裁で争われたチャタレー事件の裁判で一審無罪を有罪に逆転させた。チャタレー事件とは英国作家ローレンスの「チャタレイ夫人の恋人」を日本語に訳した伊藤整と、版元の小山書店社長の小山久二郎に対して刑法第175条のわいせつ物頒布罪が問われた事件。この判決は後に、'80「四畳半襖の下張事件」の裁判長を務めた栗本一夫の判決に影響を与えた。
'73.1定年退官。その後に弁護士登録し、ロッキード事件の橋本登美三郎の弁護士団長格となった。享年76歳。