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しもむら かずお

下村三郎

しもむら かずお

1903.1.2(明治36)〜 1980.8.4(昭和55)

昭和期の裁判官、弁護士

埋葬場所: 16区 1種 8側

 東京都出身。父は教育者・国史学者の下村三四吉、よし(共に同墓)の三男。兄は地理学者の下村彦一(同墓)。
 1920(T9)東京高等師範学校附属中学校、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業。裁判官生活と司法省への出向を2度繰り返した後、松江地方裁判所所長、東京高等裁判所判事、最高裁判所事務総長、仙台高等裁判所長官、東京高等裁判所長官を歴任し、'65.9(S40)最高裁判所判事に就任した。
 '57東京高裁判事時代に最高裁で争われたチャタレー事件の裁判で一審無罪を有罪に逆転させた。チャタレー事件とは英国作家ローレンスの「チャタレイ夫人の恋人」を日本語に訳した伊藤整と、版元の小山書店社長の小山久二郎に対して刑法第175条のわいせつ物頒布罪が問われた事件。この判決は後に、'80「四畳半襖の下張事件」の裁判長を務めた栗本一夫の判決に影響を与えた。
 '73.1定年退官。その後に弁護士登録し、ロッキード事件の橋本登美三郎の弁護士団長格となった。享年76歳。

<講談社日本人名大辞典>
<森光俊様より情報提供>


墓所

*墓石は和型「下村家之墓」、裏面「昭和十五年十二月 下村彦一 建之」。左側に墓誌がある。下村三四吉の刻みから始まり、戒名は清純院篤學宏明大居士。三四吉の妻は よし。下村三郎は「正三位 勲一等 最高裁判所判事 純真院俊浄参郎大居士」と没年月日が刻む。三郎の妻は登美子(H18歿)。兄の下村彦一は「広島大学名誉教授」と刻み戒名はない。彦一の妻は綾子。



第336回 芸術なのかエロなのか 「チャタレー事件」を裁いた人
下村三郎 お墓ツアー


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