但馬国(兵庫県)出身。豊岡藩士の下村彦三の四男として生まれる。 1889(M22)東京師範学校初等中学師範科を経て、1896 東京帝国大学文科大学選科卒業。1898.1 東京女子高等師範学校教諭に着任。1899.5 同校教授に進み、文科主任を務めた。また第六臨時教員養成所教授を兼ねた。東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学)名誉教授。 東洋史、国史研究、日本史話、史籍の選擇法を専門とした。主な著書に『国史講座』(1931)、『平安朝史』(1932、1938)、『日本武尊』(1935)、『徳川時代』(1937-1939)、『幕末明治時代』(1939、1940)などがある。『日露開戦の由来』(1904)の編集、『女子東洋史教本』(1906)などの教科書もあり、幕末篇や明治篇などをまとめたものもある。従4位 勲3等。
<人事興信録など>
*墓石は和型「下村家之墓」、裏面「昭和十五年十二月 下村彦一 建之」。左側に墓誌がある。下村三四吉の刻みから始まり、戒名は清純院篤學宏明大居士。三四吉の妻は よし。下村三郎は「正三位 勲一等 最高裁判所判事 純真院俊浄参郎大居士」と没年月日が刻む。三郎の妻は登美子(H18歿)。兄の下村彦一は「広島大学名誉教授」と刻み戒名はない。彦一の妻は綾子。
下村彦一、 下村三郎