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さかきばら しょうぞう

榊原昇造

さかきばら しょうぞう

1859(安政6.10)〜 1940.9.10(昭和15)

明治・大正期の陸軍軍人(中将)

埋葬場所: 19区 1種 10側

 江戸出身。1877(M10)陸軍士官学校に入校し、1879.12陸軍工兵少尉に任官、翌年、陸軍士官学校(旧3期)工兵科を卒業。同期に上原勇作(後に元帥)、秋山好古(後に大将)、楠瀬幸彦(後に中将・陸軍大臣:9-1-8)、鶴見数馬(後に少将:2-1-7)らがいた。
 1902.6.1(M35)工兵大佐に昇進し、教育総監部参謀に就任。日露戦争開戦に伴い、'04.2.13宇品港の乙碇泊場司令官に発令。同.5.2 第3軍工兵部長として出征。旅順攻囲戦で坑道の開鑿などで活躍。 '05.3.14工兵監事務取扱、同.11.30少将に進級し、築城本部長に就任した。'09.8.1韓国駐剳憲兵隊長、'10.6.15韓国駐剳軍参謀長に転じ、同.11.30広島湾要塞司令官となる。'12.9.28(T1)中将に進み、由良要塞司令官に着任。'13.8.22待命、'14.5.11予備。
 '26.1.1 三代目の靖国神社宮司であった賀茂百樹(10-1-4)と共著で『元寇文永役殉難者六百五十年祭記事』を執筆した。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官辞典>


墓所

*妻は佐登子(旧姓は綾部)。長男の勇人と、三男の帯刀は早死。次男の榊原主計が家督を継ぐ。榊原主計は陸軍大佐。主計の妻は芳子(旧姓は吉橋)。次男の正勝は早死。長男は榊原正明。全員同墓に眠る。

*墓所入口に「榊原家墓所」の石柱が建ち、その右隣りに「榊原主計之墓」の墓標が建つ。墓所正面の墓石正面には「永遠院殿妙賀日貞大姉」の戒名が刻む墓石が建つ。 右面に榊原昇造の妻の佐登子之墳墓と刻む。左面は没した大正二年八月三十日と刻む。「高林寛 書」とも刻む。裏面は哀歌と題して萃哉とあり、「佐米賀天延由免乃奈吾利登美通流可南加須味仁志豆武安里阿計能都紀」と刻む。右側に墓誌があり名が刻む。


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