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かも ももき

賀茂百樹

かも ももき

1867.10.13(慶応3)〜 1941.5.4(昭和16)

明治・大正・昭和期の和学者、靖国神社宮司

埋葬場所: 10区 1種 4側

 山口県周防国熊毛郡出身。姓は藤井。号は中今亭、葵園。白井田八幡宮司の藤井厚鞆の三男として生まれる。 兄で国学者の藤井稜威(いつ)(1853-1898)は、婦人活動家の賀屋鎌子(9-1-1-8)と結婚したため、政治家の賀屋興宣(9-1-1-8)は甥にあたる。
 1879(M12)広島に遊学。広島国学院や国風新聞社設立者でもあった兄の稜威のもとで、主に国書を読み学ぶ。 1884神宮教の教導職試補を申付けられ、後に少教正。兄の進めで、伊勢の外宮禰宜・棒園御巫清直翁の門で4年間学ぶ。 神宮皇学館に入るも中退。東京に出て、神習舎の上頼圀、栗里の栗田寛、圖書館に通い研学。1893広島国学院助教授兼幹事。 同年山口県熊毛郡高松八幡宮と蒲井八幡宮の社掌を兼務。これが初めての神職である。
 1894(M27)兄の命もあり縣居岡部衞士賀茂縣主眞淵大人の家名を嗣ぎ(江戸中期に活躍した国学者の賀茂真淵の子孫で靖國神社第二代宮司の賀茂水穗の養子)、その祭祀後継者となった。
翌年、学事視察のため朝鮮に遊び、1896.5.9品川の縣居大人墓前にて、繼嗣報告祭を行う。丸山作楽より賀茂眞定の名を戴く。 1898神宮教廣島本部長、部下教師検定委員長、1899〜1909内務大臣より神宮奉贊會廣島本部長に任ぜられる。 1900.2.27『日本語源」10巻を刊行。1902〜1905内務省より神宮奉贊會理事を命ぜらる。 1903〜1909廣島縣賀茂郡西條町の御建神社・同郡吉土實村の正徳神社の社掌を兼補せらる。同年、久我總裁より皇典講究所幹事(〜1905)、全国神職舎顧問を委託。 1905山口国学院顧問に推挙、広島県神職取締所副長に当選、皇典講究所長より広島県試験委員、広島県神職尋常試験委員、社司社掌試験委員を委託し、四等学正を授けられた。
 1909.3.29(M42)〜1938.4.21(S13)の長きにわたって三代目の靖国神社宮司を務めた。最後は病にて職を辞したが、在職30年。 その間、全国神職舎幹事、内務省より遊就館国賓監守、『靖國神社誌』発刊、1915(T4)戦役の功により'20勲6等瑞宝章。 '22陸軍省より遊就館長、'23内閣より神社調査会委員、威仁親王殿下より神宮神苑會委員、貞愛親王殿下または載仁親王殿下より明治神宮奉贊會委員などを委託されるなど、何々會の委員・評議員・理事・監事・顧問など嘱託した。 '35(S10)『靖國神社忠魂史』全5巻発刊。同年満州事変の行賞として勲4等瑞宝章。多くの著作もだしているが、『中今亭雜歌』のような歌集も刊行している。正四位、従三位。享年75歳。

<美術人名辞典>
<増補・近世防長人名辭典>
<靖国神社の歴史など>


 『日本語源』によれば、日本語の「チ」は「相互につなぐもの」を意味すると説明している。 「血=チ」「父=チチ」「乳=チチ」「命=イノチ」「道=ミチ」などの「チ」には、「連続性」「継続性」「永遠性」の意味が込められているとのこと。 「血=チ」は「活気を保ち続き、親から子に続く」。「父=チチ」は「血統が続く」。「乳=チチ」は「母と子の間を続ける意味である」と解説している。 「父=チチ」が「血統が続く」の意味なのに対して、「母=ハハ」は「子をはらむ」が語源。 よって、血は親と子の二つの生命を世代的に結び、命は血脈を介して、親から子へ、子から孫へと無限につながっていく。 その命の連鎖は父系によって続いていくという解釈になる。だから父系継承を前提としている歴史がある。 更にその後、安津素彦(5-1-17)は『神道と日本人』を著し、霊と肉はひとつであり、血統は霊統をも意味したと唱えた。 これは「チ」と「シ」は同じ意味を持つとし、古語では「シ」は「霊」を意味し、「霊」は「呼吸」でもあり、「血」でもあると信じられた。「シ」が身体を去ること、行ってしまうこと、つまり「シ、イヌ」が「死ぬ」の語源であると説明している。

<正論「女系継承は天皇の制度といえるのか」(2005年12月号)>


 1935(S10)『靖国神社忠魂史』(陸海軍官房監修)全五巻が発刊された。 これは満州事変以前の戦争で死亡した日本軍兵士の名前が書き記されたものであるが、刊行に際して靖国神社宮司であった百樹が序文を記している。その序文には靖国神社の起源や立場にも触れている。
 〔前文略〕(靖国神社の)祭神は男女の区別もなく、又階級的に何等の差別なく祭祀されてゐるのでありますが、世には往々靖国神社を以て軍人の殉難者を祀る神社であるかに考えてゐる者があります。 之は誤解も甚しいもので、かくては一視同仁の聖徳を涜し奉るものと云ふべきであります。 茲に祭神生前の官職身分等の大略を挙ぐるも、維新前には公卿・藩士・神職・僧侶・百姓・町人あり又明治以後には、陸海軍を初とし地方官・外交官・警察官・鉄道従業員・従僕・職工等があります。 〔中略〕 かくの如く靖国神社の祭神は、階級を超越し、国民を綜合した忠勇義烈の御霊でありまして、換言すれば、実に忠君愛国の全国民精神を表現し給ふところの神であると申すべきであります。〔後文略〕 

<『忠魂文』第一巻の序>


*賀茂真淵の墓所は品川の東海寺大山墓地。

*靖国神社の遊就館入口には賀茂百樹の句が掲げられている。
『いくさ人 ささぐる剣の 光より ひかりこそいづれ 国の光は』

*墓所入口に「賀茂家墓所」と刻む標石が建つ。墓石は大きな自然石。右側に墓誌が建ち、賀茂百樹から刻みが始まる。

*「百樹」のヨミは「ひゃくじゅ」ともよむ。



第432回 靖国神社宮司 『靖國神社忠魂史』編纂者 賀茂百樹 お墓ツアー


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