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さいとう やすよし

齋藤保義

さいとう やすよし

1900.10.22(明治33)〜 1992.11.30(平成4)

大正・昭和期の銀行家

埋葬場所: 20区 2種 36側

 京都出身。齋藤駒三郎の二男。1925(T14)東京帝国大学政治学科卒業し、横浜正金銀行に入る。上海、パリ、横浜、サイゴンの各支店に勤務したが、'46(S21)戦後、横浜正金銀行が閉鎖機関に指定され、東京銀行が設立し業務を引き継いで解散したため、これに伴い齋藤は東京銀行浅草支店長となった。'53東京銀行監査役となる。
 東京帝国大学聖書研究会に属し、矢内原忠雄(2-2-1-19)が反戦思想として右翼・軍部らに攻撃され東京帝国大学教授を辞職する'38まで会員。以降もクリスチャンとして活動した。享年92歳。

<豪閥 地方豪族のネットワーク 佐藤朝泰など>


*自然石正面「齋藤家之墓」。裏面に「昭和三十一年十一月 齋藤保義 建之」と刻み、墓誌ともなっており名前、没年月日、永眠年齢が刻む。

*妻は初枝(同墓)。長男は毎日新聞社会長を務めた齋藤明(同墓)。齋藤明の妻の富佐子は実業家の嶺駒夫の長女で、政治家の櫻内幸雄の孫。富佐子の妹の貴代子は総理大臣を務めた福田康夫の妻。娘に国際基督教大学名誉教授の齋藤美津子(政治家の福永一臣の妻)。次男の齋藤洋は東京大学薬学部教授。


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