宮城県出身。実業家・弁護士の嶺八郎(1867.4.18-1936.6.5 同墓)の長男として生まれる。1929(S4)明治中学を経て、早稲田大学商学部卒業。台湾総督府に入り殖産局に入局。のち高ノ倉鉱業に転じ監督役となる。
'33.12 仲間と6人と東京・麻布で昭和製袋工業を設立。'35.12.20 昭和製袋株式会社が世界大恐慌の影響で経営困難に陥り、大口債権者である株式会社岡本が整理事業に当ることとなり鈴木始一が実質経営責任者として派遣された。 '37鈴木始一が代表取締役になるにあたり、駒夫は監査役として着任。のちに昭和製袋工業取締役を経て、'50専務、'56副社長、'59社長に就任した。
昭和製袋工業(昭和パックス)は昭和肥料(昭和電工)と共同開発で、最も至難とされていた石灰窒素の容器として、吹込式防湿防水多層紙袋の開発に成功した。クラフト紙を使ったセメント袋(のちに米袋)の製造・販売企業。最盛期には全国シェア80%を占め、鴻巣・佐野・掛川・盛岡・亀山・別府に工場を持ち、従業員2400名を抱えるまでとなった。享年68歳。
*墓所正面「嶺氏墓」。裏面「昭和廿六年六月五日嶺駒夫建之」と刻む。右側に「嶺 駒夫 淑子」の墓石が建つ。裏面「偲 畏友 木村昭貴 書」と刻み、左面「昭和五十年七月建之 齋藤冨佐子 嶺裕 福田貴代子」と刻む。墓所左側に墓誌が建ち、嶺冨貴から刻みが始まり、次の八郎、峻には本家と刻む。峻の妻のふみ、駒夫には「八郎長男 峻養嗣子」と刻む。駒夫の妻は淑子、二人の長男の裕が刻む。
*妻の淑子(1916.1.1-2011.9.17)は櫻内幸雄(政治家)の二女。父の櫻内幸雄の弟で叔父は櫻内辰郎(7-1-5)。駒夫と淑子は1男2女を儲ける。長女の冨佐子は銀行家の齋藤保義(20-2-36)の長男の毎日新聞社長を務めた斎藤明(20-2-36)に嫁ぐ。長男の裕(1939.2.22-2018.3.25)日本原子力発電理事などを務めた。二女の貴代子は内閣総理大臣を務めた福田康夫に嫁ぎ、長男で孫は政治家の福田達夫。