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さいとう あきら

齋藤 明

さいとう あきら

1933.9.30(昭和8)〜 2013.6.13(平成25)

昭和・平成期の新聞人(毎日新聞社長:
アンマン空港爆発事件・毎日新聞社長監禁事件)

埋葬場所: 20区 2種 36側

 本籍は京都、上海出身。齋藤保義・初枝(共に同墓)の長男。父の保義が横浜正金銀行上海支店に勤めている時に生まれる。姉は後に国際基督教大学名誉教授となる齋藤美津子(政治家の福永一臣の妻)。弟の齋藤洋は東京大学薬学部教授となる。
 都立日比谷高校を経て、1959(S34)東京大学法学部卒業し、毎日新聞社に入社。横浜支局、社会部、政治部に勤務。「ライシャワー元駐日大使の核持ち込み発言のスクープ」で日本新聞協会賞(編集部門)を受賞した、優秀な記者として活躍。'79政治部副部長時代に連載記事『転換期の安保』にてサントリー学芸賞を受賞した。その後、政治部長、論説委員長、主筆兼東京本社編集局長、専務を歴任し、'98.6(H10)代表取締役社長に就任した。
 社長時代に、2003.5.1 毎日新聞写真部記者による「アンマンの国際空港爆発事件」が発生し、その対応に追われた。更に2004.1.31「毎日新聞社長監禁事件」が発生。齋藤明が取引業者6人に監禁され、社長辞任を迫られ脅迫されたが、約2時間後に怪我もなく解放される。毎日新聞はこの事件を1か月間公表せず、警視庁が犯人を起訴し会見する10分前になって公表したため、様々な憶測が飛び交い新潮社を名誉棄損で訴えている。
 2004.6 会長に就任。2005.6 会長を退き相談役に就任した。腎細胞癌のため死去。享年79歳。2013.7.31帝国ホテルでお別れ会が営まれた。

<日本経済新聞訃報記事>
<豪閥 地方豪族のネットワーク 佐藤朝泰など>


【毎日新聞記者によるアンマン国際空港爆発事件】
 2003.5.1(H15)毎日新聞写真部記者によるアンマンの国際空港爆発事件が発生。これはイラク戦争の取材をしていた記者が、取材中に拾ったクラスター爆弾の子爆弾を記念品として持ち帰ろうとしたところ、ヨルダン国アンマンのクィーンアリア国際空港の手荷物検査所で爆発。職員1人が死亡、近くにいた5人が負傷した。
 写真部記者は爆発物不法所持、過失致死、過失致傷の罪に問われ逮捕されたが、裁判の結果、爆発の危険性についての認識がなく、使う意思もなかったことから、最も量刑の重い爆発物不法所持(懲役15年−7年6月)については無罪。「爆発は被告の不注意によるもの」と述べ、過失致死、過失致傷の罪で禁固1年6月の実刑判決を言い渡された。更にアブドラ国王による特赦が許され釈放・帰国した。
 同.5.7 齋藤明は社長として現地の空港に赴き、「おわび、お見舞いのために来ました。ここで警備員が亡くなり、そのおかげで多くの人が助かった。ヨルダン国民に深くおわびしたい」とコメントしている。

<読売新聞/2003.6.2朝刊>


【毎日新聞社長監禁事件】
 2004年1月31日(H16)午前9時頃、毎日新聞社長であった斎藤明が、東京都内の自宅近くを散歩中に顔に布をかぶせられワンボックス車に押し込められ、男6人に拉致され、車内に監禁された。犯人は毎日新聞の関連会社「国際観光ホテルナゴヤキャッスル」が経営する名古屋市内のホテルにコーヒー豆を納める取引業者の役員で、再開を要求した。
 衣服を脱がせて全裸にし、両手足を粘着テープで縛られて、その姿を撮影した。犯人は「世間に写真をばらまかれたくなかったら社長を辞任しなさい」と脅迫したという。約2時間後の午前11時すぎに自宅近くで解放された。自らが同日午後、警視庁に届けた。
 1998にも犯人は当時の毎日新聞社会長の小池唯夫氏の自宅に押し掛けて、懇意であった国際観光ホテルナゴヤキャッスルの社長が解任されたことに抗議し復権を迫る抗議行動をしていた。当時は刑事事件として立件されていなかった。
 犯人全員は一週間後に逮捕され、2月27日に逮捕監禁と強要未遂の罪で起訴されたが、毎日新聞社はこの事件を警視庁が起訴について会見する10分前まで公表をしなかった。事件発生から約1ヶ月間公表しなかったことについて、毎日新聞社は「社長の親族らへ再度、危害が及ぶ可能性、撮影された写真が流布される可能性がなくなった時点を公表時期とした」と説明している。 判決では犯人に対して最高で懲役4年の実刑が言い渡された。
 斎藤明は事件に関して「今回、初めて犯罪の被害者となり、被害者の立場のつらさ、人権の重さを、文字通り身にしみて感じております」「卑劣で許せない犯行であり、今後の公判で真相が解明され、適切な司法判断が下されることを心より望んでおります」とのコメントを出した。
 事件公表が遅れたことで様々な憶測が飛び交い、斎藤明は「できうるなら私と私の家族の人権は守らせていただきたい」「一部の週刊誌は、興味本位に私の人権や名誉を顧みない内容の問い合わせをしてきています。それがそのまま記事として公表されるかどうかはわかりませんが、同じ報道に携わる者として悲しい限りです」とコメントしけん制していた。しかし、新潮社3月11月号で『「毎日社長拉致」で新聞が書けなかった「社内抗争」と「ホモ写真」』という記事を出し、事件の背景に社内抗争があるとし、斎藤が監禁中に屈辱的な写真を撮られた被害について必要以上に詳細に報じた。齋藤明は新潮社と執筆者を名誉棄損で約4900万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしている。提訴について週刊新潮編集部は「報道機関が『言論には言論で』の原則を自ら捨てるのは悲しい行為」とコメント。毎日新聞社社長室は「表現の自由は最大限保障されるべきだが、記事は社会的に許される限度を超えている」とコメントを出した。

<朝日新聞/2004.3.3朝刊>
<毎日新聞/2004.3.5朝刊など>


*自然石正面「齋藤家之墓」。裏面に「昭和三十一年十一月 齋藤保義 建之」と刻み、墓誌ともなっており名前、没年月日、永眠年齢が刻む。齋藤明の妻の富佐子は実業家の嶺駒夫の長女で、政治家の櫻内幸雄の孫。富佐子の妹の貴代子は総理大臣を務めた福田康夫の妻。


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