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のむら はな

野村ハナ

のむら はな

1888.3.7(明治21)〜 1968..2.25(昭和43)

大正・昭和期の教育者、野村胡堂の妻

埋葬場所: 13区 1種 1側 3番

 岩手県柴波郡彦部村出身。1906(M39)岩手県立盛岡高等女学校を経て、日本女子大学附属高等女学校卒業。'10日本女子大学教育学部卒業。同年5月野村胡堂と結婚。一男三女をもうける。 '11長女の淳子、'13長男の一彦、'16次女の瓊子、'20三女の稔子を授かる。
 '15〜'30(T4〜S5)日本女子大学附属高等女学校に奉職。子育てと両立し教育者として活動。退職以後は、執筆に専念する夫の胡堂の優れた秘書となり、良き妻となり、蔭ながら大きな力となった。 '68.11野村胡堂の記念碑落成のため柴波町に招かれ、ついで故郷に訪れる。享年80歳。

<墓誌碑などより>


のむら はな

*墓所は正面右側に「野村家墓」、左側に「松田家墓」が並んで建つ。野村家側右に胡堂の碑が建つ。 なお、墓石裏面はそれぞれ墓誌となっており、「野村家墓」には野村胡堂、野村ハナ、長女の野村淳子、長男の野村一彦が刻む。 「松田家墓」には松田瓊子、松田智雄、松田稔子が刻む。

*2017年墓所を再調査したところ、「松田家 墓」墓石が「「松田家 / 住川家 墓」と改墓されていた。墓石の裏面が墓誌となっており、右から松田稔子、松田智雄、松田信雄、住川タカ、住川孝治、住川こうの名が刻む。智雄と稔子の子(胡堂の孫)は松田信雄と住川碧である。なお、智雄の前妻の松田瓊子の刻みが消えている。


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