青森県弘前出身。旧弘前藩士小館仙之助の二女。教育者を志し青森女子師範学校卒業。 来徳女学校(弘前学院)の教師となり、弘前教会の相原英賢から受洗。 横浜の聖経女学校に入り、卒業後弘前教会の伝道者となる。 1894(M27)8月山鹿元次郎の媒酌で千島択捉島で伝道していた中田重治(同墓)と結婚。 その約一年後、風土病のため重態となる。長男の左内も罹病し、生後一か月で死亡。 上京していた重治が急遽帰島し、弘前で静養したのち、夫とももに秋田県大館に転任。 ここで二男の羽後が生れた。教会創業時代の重治のよき協力者であり、ホーリネス教会の母といわれた。
<日本女性人名辞典>
中田重治、 中田羽後、 中田あやめ