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なかだ あやめ

中田あやめ

なかだ あやめ

1881.4.15(明治14)〜 1939.9.14(昭和14)

基督教伝道者、中田重治の後妻

埋葬場所: 19区 1種 3側

 宮城県仙台出身。今井善五郎・よねの長女。横浜の聖経女学校卒業。メソジスト教会伝道師として各地で働く。 1911(明治44)千葉県の佐原教会在任中、妻を失い一男四女を抱えていた重治に同情して結婚。重治の教義を熱烈に支持した。

<日本女性人名辞典>


墓所

*洋型「中田家之墓」に十字架と「我らはことごとく眠るにはあらず 終の喇叭の鳴らん時みな忽ち瞬く間に化せん」と刻む。右面「昭和十七年九月 中田羽後 建之」。裏面が墓誌となっている。墓誌は重治の前妻の中田かつ(M44.3.4入瞑・43才)、次に後妻の中田あやめ(S14.9.14入瞑・59才)、そして、後妻が亡くなった10日後に亡くなった中田重治が刻む。次に重治弟子と刻み竹田ゐ津(S18.8.7入瞑・83才)も眠る。重治の長男は中田羽後、羽後の妻は中田あさ(H14.12.3入瞑・101才)。羽後の長男は中田祐治。墓石の右に並んで「中田重治先生之碑」と刻む石柱が建ち、右面に「明治中葉より大正昭和にかけて聖書的純福音を掲げ平明熟烈奇智縦横の説教もて宣教に盡粹せられし、中田重治先生。一方東京聖書学院を創立して幾多の後続を育成して世に送られ今や福音奉仕に任じて立つ者国の内外に甚多い」と刻む。


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