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ながみね なおや

長嶺直哉

ながみね なおや

1894(明治27)〜 1976.7.1(昭和51)

昭和期の外交官、教育者

埋葬場所: 4区 1種 35側 1番

 本多庸一・てい(共に同墓)の五男。てい の姉のゲンの嗣子となり長嶺を継ぐ。長嶺家は実母ていの実家であり、ていやゲンの父である長嶺忠司は盛岡藩庁重役(任盛岡藩権少参事兼会計権督務)や測量御用掛、下太田村二等戸長を務めた人物。 長嶺家は忠司の妻のタミの本家であるため婿養子である。二人の間には一男三女あり、長男が夭折したため、長女のゲンが長嶺家を継ぎ、次女のていの子の直哉がゲンの養子となった。
 東京外国語学校(東京外国語大学)を卒業後、外務省に入省。主に中南米に勤務し、ニカラグア・パナマ臨時公使を務め、太平洋戦争のために、'42.11帰朝。 戦後、青山学院大学に勤務後、'48湘南女子高等学校(湘南学院高等学校)第2代校長に就任し、3年間校長を務めた。横須賀市の衣笠ホームで逝去。享年82歳。

<盛岡タイムス Web News / 2012.9.27>


墓所

*正面墓石に「本多庸一之墓」。墓所右側に「本多家之墓」、墓誌が並ぶ。同墓には本多庸一、庸一の妻で婦人運動家の本多てい、東北学院大学工学部教授を務めた本多繁らが眠る。

*'21.10(T10)ウルグアイ国でマリア・フリアと結婚。二人の間には長男の日出雄、長女のアメリア静を儲けた。直哉死去時はアメリア静はテキサス大学教授のアメリコ・パレデスを夫に、アラン、ジュリー、ビンスの3人の子女を儲けており、テキサス州オースチン在住であった。1996年に亡くなったようであり、同墓の墓誌に「AMELIA SHIDZU NAGAMINE」と英語表記で刻む。

*長嶺家の菩提寺は盛岡長松院。


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