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ほんだ しげる

本多 繁

ほんだ しげる

1919(大正8)〜 2008.11.8(平成20)

昭和期の工学者

埋葬場所: 4区 1種 35側 1番

 本多庸一の次男で家督を継いだ本多二郎の長男の太郎が早死したため、二郎の姪で繁の妻である元子と繁が二郎の養子となり本多家の跡を継いだ。
 1942(S17)京都大学工学部土木学科卒業。満州国政府給費生として満州国交通部治水調査所に試補として勤務。'44召集で満州第181部隊(ノモンハン・ハンダガイ)入営、立川航空整備学校、各務原航空隊、那須(黒磯)航空隊を経て、終戦となる。
 戦後は、鹿島組を経て、弘前大学で講師、'53東北学院大学工学部講師として迎えられ、'74助教授。主に交通、都市工学、図学教授、工学部教授。'86停年退職後も、非常講師として残り、'92(H4)退職した。
 東北のキリスト教史をまとめた『東北地方における基督教新教の伝播と受容--青森県・秋田県を中心として』や『米躍のプ口タンテイズムと日本人』などキリスト教関連の書物、『一明治宗教家の書簡と履歴書から −本多庸一とその家族』も刊行した。享年89歳。

<自著の著者紹介>
<東北学院時報 第677号 2008.12.15発行>


墓所

*正面墓石に「本多庸一之墓」。墓所右側に「本多家之墓」、墓誌が並ぶ。同墓には本多庸一、庸一の妻で婦人運動家の本多てい、二人の子で外交官・教育者の長嶺直哉らが眠る。


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