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むらかみ まさすけ

村上正輔

むらかみ まさすけ

1878.9.17(明治11)〜 1949.2.20(昭和24)

大正・昭和期の実業家、オーバル歯車発明者

埋葬場所: 11区 1種 10側

 山口県出身。父は陸軍大佐の村上正路(同墓)。1903(M36)京都帝国大学卒業。
 戸畑鋳物で技師、取締役を経て、社長を務める。'26(T15)東亜電機社長に転任し業績改善に努めた。その際、会社の技術に関して全て任せた技師長のウィリアム・ゴーハム(24-1-11)が、手動式電話交換機の自動化、ドリルやグラインダーなど電動工具の改良、鉱山用削岩機の開発などで成果を収め、また新分野である自動車メーカー向け電動スターターやイグニッションコイルといった電装品が高い評価を得た。
 社長業の傍ら、'32(S7)ロータリーエンジンを改良し、回転ピストン機関「村上式ロータリー・エンジン」で特許出願。以降、内燃機関(エンジン)用の「オーバル歯車(ギア)」を研究・発明した。「オーバル」とは楕円のことである。この楕円に多数の歯が切ってあり、左右のロータは互いに噛合って回転する。計測室と歯車の間に囲まれた部分が枡となり、1回転でこの4倍の量が吐出される仕組みである。
 1939.5(S14)鮎川義介(10-1-7-1)の後を継ぎ、2代目 日産自動車の社長に就任(〜'42.2)。
 開発途中であった、高速回転のエンジンに代わり比較的低速で自転する製品に応用することを懇意の仲であった加島淳にオーバル歯車の特許を譲り依頼した。'49.5.10オーバル機器工業((株)オーバル)を設立し、オーバル歯車流量計の試作に成功。これが自動車発動機に応用されたことで、村上と加島の連携した研究・発明は、その後の日本の自動車産業の発展に多大に貢献した。享年71歳。

<講談社日本人名辞典>
<流量計測の歴史 第16回 小川胖など>


*墓石は和型「村上家之墓」。裏面は「昭和十三年三月 正輔 建之」。右側に墓誌がある。戒名は天籟院齊譽梵行正輔大居士。墓誌には72歳と刻む。妻は喜御代。長男の村上正夫は旭硝子常務取締役を務めた人物。正夫の妻の千賀子は小岩井農場長・三菱地所会長を務めた赤星陸治の三女。

*名前のヨミは人名辞典等によってふりがなが異なり、「しょうすけ」「せいすけ」などがあり、どれが正しいか調査中であるが、日産自動車歴代社長で紹介されていた「まさすけ」をここでは採用する。


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