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もとじ かつま

泉二勝麿

もとじ かつま

1905(明治38)〜 1944.10.3(昭和19)

昭和期の彫刻家、洋画家

埋葬場所: 8区 1種 4側 46番

 東京出身。父は裁判官で刑法学者の泉二新熊・菊尾(共に同墓)の長男。妹の美智子(ミツ)が洋画家の中野和高に嫁いだため義弟。
 1929(S4)東京美術学校卒業。フランスに留学し中世絵画や彫刻を学ぶ。ジャン・デュナンに師事。師のジャン・デュナン作のフランス汽船『ノルマンディー』の装飾を泉二が担当した。1936(S11)フランス在住の時に多摩帝国美術学校から教授を任ぜられる。フランスに滞在し制作を続けていたが、第二次世界大戦によりドイツによるフランス侵攻から逃れるため、'39帰国。
 帰国後は二科会に出品を始める。戦時中のためナショナリズム寄りの作品が暗黙となる。'40代々木公園内に「日本航空発始之地記念碑」の『鳥の像』の彫刻を担当した(設計は今井兼次、建立は朝日新聞、碑文は陸軍大将の井上幾太郎)。'41第28回二科展『東郷大将バルチック艦隊を睨む』を制作途中の未完として出品。'42ナショナリズム的傾向を強く押し出した彫刻家団体「造営彫塑人会」に参加。また同年、油彩、染色、陶器、産業美術、書道に関係する有志により結成された「扶桑会」にも参加。戦時下でも活動を続けるも二年後、39歳の若さで没した。


泉二新熊と分家

*墓石は和型「泉二家之墓」。墓所内には墓誌はなく、墓石にも戒名や俗名は刻まれていない。しかし、墓石裏面に「鹿児島県大島郡龍郷村中勝より移葬 昭和6年10月下旬 泉二新熊」と父の名が刻む。

泉二分家之墓

*泉二新熊の弟(二男)の泉二仁熊は大島電機専務取締役を務めた実業家。泉二新熊の左となりの墓所には和型「泉二分家之墓」、裏面「昭和十六年四月 泉二利光 建之」が建つ。右側に墓誌があり、泉二仁熊の妻であるフヂ(M21.7-T8.12.2)、泉二新熊の弟(三男)泉二利光(M11-S41.5.24)、仁熊とフヂの長男の泉二富治(M41.8-S55.5.16)らが刻む。泉二仁熊の刻みがない。


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