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みなみ しんご

南 新吾

みなみ しんご

1873.11.13(明治6)〜 1930.1.26(昭和5)

明治・大正・昭和期の実業家

埋葬場所: 23区 1種 8側

 東京出身。父は建設事業者で日本三大疏水(那須疏水・安積疏水・琵琶湖疏水)の父と称された南一郞平、4男として生まれる。1895.10(M28)分家。
 1897.7(M30) 東京帝国大学法科大学卒業。卒業後、三井物産合名会社に入る。天津支店長、香港支店長、1909 本店秘書役、調査課長、本店本部参事などを歴任。
 '10.7 商務官に任ぜられる。'12.6 廃官。台湾銀行に転じ理事に就任した。その他、東亜煙草社長、千代田信託取締役など重役を兼ねた。勲5等。享年56歳。

<人事興信録>


墓所 墓所

*墓所には4基の墓石が建つ。正面右に和型「南新吾之墓」、裏面に生没年月日が刻む。正面左に和型「南恵美子之墓」、裏面「南新吾妻 明治十年四月九日生 / 昭和二年二月廿六日死」と刻む。墓所左側に和型「南謹二之墓」、右面「昭和十八年十二月二十二日死」。墓所右側に洋型十字架を刻み「南家之墓」、右側に「昭和五十二年十一月 南尚夫 建之」。裏面が墓誌となっている。墓誌は南英一から刻みが始まり「アルベルト」とある。英一の妻は梅子(エリザベト:H5.4.15永眠)、南尚夫(英一の長男:ブーベルト:H22.2.18永眠)、尚夫の妻は孝子(マリアアンナ:H24.9.11永眠)。

*憲法学者の美濃部達吉(25-1-24-2)とは親友であり、達吉の妹の ゑみ(墓石には恵美子:同墓)と結婚。よって経済学者・東京都知事の美濃部亮吉(25-1-24-2)は義甥。南新吾とゑみとの間には4男3女を儲ける。長男の南英一は地球化学者。長女の五十子(M34.4生)は実業家の佐々木清麿の二男の商学者・明治大学教授の佐々木道雄に嫁いだ。二男の南謹二は人民戦線事件事件に巻き込まれた経済学者。三男の順三(M39.12生)は旅順大学講師。二女は美喜(M42.7生)。四男は正治(T1.12生)。三女は多佳子(T4.12生)。


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