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みなみ えいいち

南 英一

みなみ えいいち

1899.11.29(明治32)〜 1977.9.15(昭和52)

昭和期の地球化学者

埋葬場所: 23区 1種 8側

 兵庫県出身。祖父は建設事業者で日本三大疏水(那須疏水・安積疏水・琵琶湖疏水)の父と称された南一郞平。父は実業家の南新吾、恵美子(共に同墓)の長男。弟の南謹二(同墓)は人民戦線事件に巻き込まれた経済学者。母方伯父に憲法学者の美濃部達吉(25-1-24-2)。経済学者・東京都知事の美濃部亮吉(25-1-24-2)は従兄弟。1930(S5)家督を相続す。
 1923(T12)東京帝国大学理学部化学科卒業。同校の理学部講師となる。'33〜'35 ドイツ留学後、東京帝国大学理学部鉱物科講師となり、化学科助教授を経て、'42 鉱物学教室の教授に就任。後に地球化学研究室を創設。'60 停年退官し名誉教授。
 東京大学地震研究所に着任したが、'61 上智大学に理工学部が設立された際、教授として迎えられ、上智大学における地球化学の礎を築いた。
 日本の隕石化学を創始し、隕石及び隕石鑛物の化学成分の分析を行い、また温泉、火山、南極石、北投石の研究などを行った。特に希土類元素の分光分析をすすめる。また日本分析化学会、日本分光学会、日本温泉科学会の各会長を歴任し、地球化学の発展に貢献した。
 著書に『分光分析』(共著)などがある。理学博士。享年77歳。

<20世紀日本人名事典>
<講談社日本人名大辞典>
<帝国大学出身名鑑>


墓所 墓所

*墓所には4基の墓石が建つ。正面右に和型「南新吾之墓」、裏面に生没年月日が刻む。正面左に和型「南恵美子之墓」、裏面「南新吾妻 明治十年四月九日生 / 昭和二年二月廿六日死」と刻む。墓所左側に和型「南謹二之墓」、右面「昭和十八年十二月二十二日死」。墓所右側に洋型十字架を刻み「南家之墓」、右側に「昭和五十二年十一月 南尚夫 建之」。裏面が墓誌となっている。墓誌は南英一から刻みが始まり「アルベルト」とある。英一の妻は梅子(エリザベト:M41.4-H5.4.15永眠:旧姓は藤田)、南尚夫(英一の長男:ブーベルト:S5.2-H22.2.18永眠)、尚夫の妻は孝子(マリアアンナ:H24.9.11永眠)。


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