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まるも たけしげ

丸茂武重

まるも たけしげ

1912(明治45)〜 1990.3.12(平成2)

昭和期の考古学者

埋葬場所: 4区 1種 24側

 東京出身。1935(S10)國學院大學文学部国史学科卒業。東京考古学会に所属していた若い頃、杉原荘介(10-1-13-26)らがおり、設立者であり恩師の森本六爾の口癖であった「考古学は文学である」という言葉に感銘し、考古学のみならず、原始美学の研究にも打ち込んだ。
 国学院大学幼稚園教員養成所(幼児教育専門学校)所長。'69国学院大学文学部史学科教授。'83定年退職。満州出土怪人面攷などの研究を行なう。主な著書に『神々と知性の戦い』『原始形像研究序説』『面と構造』『古代の道と国』『中世の旅人たち』など。文学博士。心不全のため死去。享年77歳。娘に脚本家の綾部伴子(同墓)、孫に役者の丸茂太郎。

<現代物故者事典 88/90 など>


墓所

*墓石は和型「丸茂家之墓」、裏面「昭和三十六年二月 丸茂武重」と刻む。墓石の右側に並んで「矢野百合子太郎女之供養塔」、左面「天に任せよ 地にすがれよ」、右面「生きても 死にても 天と地とは わが住みか」、裏面「丸茂美葉・太郎之父方祖母 昭和二十三年三月十五日歿 平成十年 五十年祭に丸茂千恵子 建之」。

*墓所左に墓誌が建つ。丸茂武重から刻みが始まり、戒名は馨徳院恩訓式覚居士。没年月日と行年、「文学博士」と刻む。「明治四十五年 東京にて出生 國学院大学幼稚園教員養成所(現 幼児教育専門学校)所長 昭和四十四年より 國学院大学文学部史学科教授」と簡略歴も刻む。丸茂武重の横に並ぶようにして娘で本名の「丸茂智恵子」と「ペンネーム 綾部伴子」、生没年月日、行年が刻み、脚本家として活躍「ありがとう」と刻む。出生後6日で亡くなった丸茂克重(T6.4.23-4.29)。丸茂武重の妻で本名の「丸茂ふぢ子」とペンネーム「劇作家 田井洋子」、没年月日、「日本放送作家協会理事長 紫綬褒章 勲四等宝冠章受章」と刻む。


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