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まえの しろう

前野四郎

まえの しろう

1887.8.22(明治20)〜 1938.9.15(昭和13)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 16区 1種 11側 12番

 福岡県八女郡出身。前野寿一の四男。1907(M40)陸軍士官学校入校し、'09卒業(21期)。同期に富永信政(大将)、阿部平輔(後に中将:11-1-24)、石原莞爾(後に中将で板垣征四郎らとともに柳条湖事件を起し満州事変を成功させた首謀者)、木谷資俊(後に中将:9-1-19)、塩田定市(後に中将:9-1-19)、岡宮夙夜(後に少将:9-1-20-15)、田中毅一(後に少将:12-1-13-5)、長崎守一(後に少将:2-1-7-8)らがいる。
 陸軍少尉からスタートし、輜重兵第18大隊中隊長、陸軍自動車学校教官、'35補輜重兵第16隊長を経て、'36.6.1輜重兵第10聯隊長となって、 支那事変勃発後、出征し、北支各地攻略して功勲をあげるも、現地にて戦病死した。享年52歳。 没後、特進し少将となる。従4位 勲2等 功4級。妻は住枝。男子に恵まれなかったため、志賀圭一郎の三男の荒冶(同墓)を養子とした。

<日本陸軍将官総覧>
<碑文より>


「前野君墓詰」の碑

*墓石は和型「陸軍少将 従四位 勲二等 功四級 前野四郎 /室 住枝 墓」、裏面「昭和十五年九月 前野荒治 建之」。左面に「陸軍中将 磯谷廉介 書」。墓所右側に「前野君墓誌」と題した碑が建ち、前野四郎の略歴が陸軍中将の千葉郁治(21-1-5-16)の撰、昭和十五年九月と刻む。碑の裏が墓誌となっている。前野四郎から刻みが始まり、戒名は顕彰院勲誉高岳義勝居士。妻は住枝(S14.9.20歿)。前野荒冶には「従四位 勲四等旭日小綬章」と刻む。荒冶の妻は祥子(H12.2.24歿・行年78才)。

※墓誌には「荒冶」と刻み、墓石裏面と前野四郎墓誌碑には「荒治」と刻む。ここでは「前野荒冶」として紹介する。


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