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まえの こうじ

前野荒冶

まえの こうじ

1917.11.30(大正6)〜 2006.7.31(平成18)

昭和期の陸軍少佐、陸上自衛隊陸将補

埋葬場所: 16区 1種 11側 12番

 志賀圭一郎の三男。旧姓志賀。陸軍少将の前野四郎(同墓)の養子。1936.6.29(S11)陸軍士官学校卒業(陸士48)。 陸軍少尉としに任官。'41.12.24陸軍大学に入り、'43.11.30陸軍大学校卒業(陸大57)。陸軍少佐となり第11軍参謀となったが終戦。 日本に自衛隊が発足してすぐに陸上自衛隊入隊し、九州地区補給処長、1967.7.17 - 1969.7.16第一教育団長となる。 第一教育団とは東部方面隊隷下の教育部隊で、武山駐屯地に団本部を置く、陸上自衛隊の教育団のひとつである。 '69.7.17陸上幕僚監部付となり、同年.11.30退職。最終階級は陸将補であり、旧陸軍の少将にあたる階級である。従4位 勲4等。享年88(墓誌には91)。

<帝国陸軍将軍総覧など>


「前野君墓詰」の碑

*墓石は和型「陸軍少将 従四位 勲二等 功四級 前野四郎 /室 住枝 墓」、裏面「昭和十五年九月 前野荒治 建之」。左面に「陸軍中将 磯谷廉介 書」。墓所右側に「前野君墓誌」と題した碑が建ち略歴が刻む。碑の裏が墓誌となっている。前野四郎から刻みが始まり、戒名は顕彰院勲誉高岳義勝居士。義母は住枝(S14.9.20歿)。前野荒冶には「従四位 勲四等旭日小綬章」と刻む。荒冶の妻は祥子(H12.2.24歿・行年78才)。

※墓誌には「荒冶」と刻み、墓石裏面と前野四郎墓誌碑には「荒治」と刻む。ここでは「前野荒冶」として紹介する。


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