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こばやし ごう

小林 剛

こばやし ごう

?〜 1924.2.4(大正13)

明治・大正期の陸軍軍人(主計少将)

埋葬場所: 3区 1種 8側

 滋賀県出身。上京し、月謝の安い陸軍士官学校と国立の音楽学校の二校を受験。 両方合格し、横笛が得意だったので音楽学校へ行こうと、陸軍士官学校を断りに行ったところ「貴様何を考えているんだ」と一喝されて、陸軍士官学校の入学手続きをしてしまったのが、軍人畑のスタートとなる。
 卒業後は主計(経理部)畑を歩み、1919.4.1(T8)経理局衣糧課長、'20.8.10一等主計正となり、9.15青島守備軍経理部長となる。 '23.5.5糧秣本廠長を務めていた翌年、若くして没す。没後即日、主計監に特進。主計監は少将相当官である。功3級。 葬式には天皇陛下の名代が馬車で乗りつけ軍靴のまま座敷に上がり、恩賜の羽二重を置いて行った。
 妻は美代(同墓)。長男の小林一郎(同墓)は小児科医。一郎は父の剛から「これからの世の中は職業軍人の時代ではない。 お前は医者になれ」と言われ医者の道を志したという。東京馬込で小児科を開業。 隣り家がドラマーのジョージ川口(9-2-32)の邸宅であり、御子息がよく受診に来ていたという。 一郎の妻の百合は、海軍中将の野田鶴雄(22-1-40-1)の弟で脚本家の野田高梧(22-1-40-1)の妻の静(しず)の妹である。 一郎・百合の子、すなわち小林剛にとっての孫に、音楽家の小林道夫、今回情報を提供をいただいた小林邦夫氏らがいる。 男児三人兄弟は父の一郎から「これからは医者の時代ではない、お前たちは医者以外なら何になっても良い」と言われたという。 従4位 勲3等 功5級。

<帝国陸軍将軍総覧>
<お孫様の小林邦夫様から情報・写真提供>


墓所

*墓石は和型「小林家之墓」。右側に墓誌があり、陸軍主計監と刻む。墓所の周りの鎖を戦時中に供出してそのままの状態になっている。 墓所には妻の美代、長男の一郎夫妻も眠るが、墓誌には刻んでいない。

*滋賀県の生家墓所にも分骨されている。


*2010年5月25日、お孫様にあたられる小林邦夫様がお兄様の道夫様にご確認いただき、下記がわかりました。 道夫様宅に位牌があり、そこには大正13年2月9日の日付が記載され、行年五十四歳とのことです。 人名事典等に記載されている没年月日と異なり、また数え年であるのか不明であるため、生年月日は不明です。 葬式に天皇陛下の使いが来るので、電話が鳴ってはいけないと受話器を外しておいたらあとで電話局からこっぴどく叱られたと言うエピソードも頂戴いたしました。


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