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のだ つるお

野田鶴雄

のだ つるお

1875(明治8)〜 1936(昭和11)

明治・大正・昭和期の海軍軍人(造兵科中将)、実業家

埋葬場所: 22区 1種 40側 1番

 京都出身。祖父は江戸後期に著名な儒学・漢学者の野田笛浦(1799-1859)。父は函館税関長を務めた人物。その長男として生まれる。弟に日本画家の野田九浦(同墓)、脚本家の野田高梧(同墓)。
 1900(M33)東京帝国大学工学部造兵科卒業。海軍に入り造兵中技士に任官。1913(T2)12.1呉工廠製鋼部長心得を経て、'15.12.6呉工廠製鋼部長に就任し、12.13大監となる。 '16.7.19造船造兵監督官として英国に出張し、翌3.20命帰朝。'19.4.1再び呉工廠製鋼部長を歴任。この年、工学博士の学位をうける。 '21.4.1少将に昇格し、欧州駐在造兵監督官として欧州諸国に出張、翌2.4命帰朝。その年の12.1東京造兵廠長となった。'23.4.1技術研究所長。'25.12.1中将となるとともに、侍命となり、'26.2.25予備。
 退役後は八幡製鉄所技監及び監理部長兼研究所長となった。また'34(S9)日本製鉄会社の創立と共に常務を務めた。勲一等瑞宝章(S11.1.9)授章。

<帝国海軍提督総覧>


のだ つるお のだ つるお

*墓所内は正面に洋型の「野田家の墓」、並ぶように左側に和型の「野田鶴雄 盛子 墓」、右側に「野田鶴雄胸像」が建つ。 「野田家墓」の墓石裏面は墓誌となっており、野田鶴雄、野田秀二、野田道三(九浦)、野田教四郎、野田高梧の兄弟全員(5男兄弟)と妻らの名が刻む。


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