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かわむら てつたろう

川村鉄太郎

かわむら てつたろう

1870.5.24(明治3)〜 1945.4.23(昭和20)

明治・大正・昭和期の実業家、伯爵、貴族院議員

埋葬場所: 11区 1種 2側 4番

 東京都出身。海軍大将・伯爵の川村純義は父。母の春子は昭和天皇幼少期後養育係をした。1886(M19)英仏留学。1895以降細倉鉱山(株)社長、日本勧業銀行監査役等となり、また議院建築準備委員会、狩猟調査会各委員となる。 26年フランス、ベルギー両国の工業を視察し、1924(T13)第10回万国議院商事会議(ブラッセル)出席。父没後、伯爵を授爵し1907(M40)11月〜1939(S14)7月まで貴族院議員として在籍し研究会に属した。 '38(S13)永年在職議員として表彰を受ける。正二位 勲三等。

<歴代閣僚と国会議員名鑑>
<平成新修旧華族家系大成>
<MATSU様より情報提供>


*川村鉄太郎の四女の武子は、西竹一(1902-1945)に嫁いだ。子は、長女の淑子(小松)、長男の泰徳、次女の広子(高井)。 西竹一は男爵で枢密顧問官や外務大臣を務めた西徳二郎の三男。10歳の時に父が他界し、兄も早世したため、武一が男爵を継いだ。 1932(S7)ロサンゼルスオリンピック最終日に行なわれた馬術大障害で、愛馬のウラヌスに乗り、見事金メダルに輝いた。4年後のベルリンオリンピックにもウラヌスとともに参加し、障害団体で6位入賞した。 米国通の国際人であり、バロン・ニシと呼ばれ、社交界で人気を集めた。しかし、太平洋戦争戦況悪化に伴い、'44(S19)43歳の時に硫黄島に配属。 '45.2日本軍守備隊の中に西がいることを知った米軍から「オリンピックの英雄バロン・ニシ、我々は勇敢なあなたを尊敬をもって迎え入れるであろう。降伏は恥ではない」という投降勧告があったが、3月22日に突撃して玉砕した。 陸軍騎兵中尉で戦死したが、没後二階級特進し陸軍大佐。父の死にともない、長男の西泰徳は昭和生まれで唯一の授爵者(男爵)となった。西家の墓所は青山霊園1イ8-3。

*鉄太郎没後の伯爵継承者は川村雅彦。養子に純紀がいたが志しなかば病没。


川村純紀(かわむら すみのり)
1906(明治39)〜 1915.7.29(大正4)
 伯爵川村鉄太郎の嗣子。学習院通学中腎臓病に罹り大学病院に入院加療中1915(T4)7月29日午前四時逝去。

<大正過去帳69頁>
<五輪塔様より情報提供>


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