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かわむら てつたろう

川村鉄太郎

かわむら てつたろう

1870.5.24(明治3)〜 1945.4.23(昭和20)

明治・大正・昭和期の実業家、伯爵、貴族院議員

埋葬場所: 11区 1種 2側 4番

 鹿児島県出身。伯爵の川村純義、春子(共に同墓)の長男として生まれる。「銕太郎」と表記(墓石は川村銕太郎のまま)をしていたが途中から「鐵太郎」となり、現代では「鉄太郎」と表記されている。すべてヨミは「てつたろう」である。
 慶応義塾幼稚舎、横浜で英語を学ぶ。1886(M19)イギリスに留学し、ケンブリッジのリースというパブリックスクールで学び、ロンドンの理化学院でも修業した。
 1895 細倉鉱山(株)社長に就任した。1897 日本勧業銀行監査役に就任。東明火災海上保険会社の重役なども務めた。
 1901.4.29(M34)昭和天皇(御名は裕仁=ひろひと・称号は迪宮=みちのみや)が生まれ、70日目の7月7日から川村邸で養育することとなり、翌年昭和天皇の弟の秩父宮(御名は雍仁・称号は淳宮)も生後四か月から川村邸で養育。両親が養育掛を任ぜられたことを機に、自身も各仕事を辞して皇孫の御用となる。
 '04.8.12(M37)父の純義が逝去したことで、同.11.9 迪宮(昭和天皇)と淳宮(秩父宮)は養家を去ることになる。父の後を継ぎ、伯爵を襲爵した。
 '07.11(M40)1〜'39.7(S14)7月まで貴族院議員として在籍し研究会に属した。'38(S13)永年在職議員として表彰を受ける。また議院建築準備委員会、狩猟調査会各委員となる。 その他、フランス、ベルギー両国の工業を視察。'24(T13)第10回万国議院商事会議(ブラッセル)に出席した。正2位 勲3等。享年74歳。没後は5男の川村雅彦(同墓)が家督を継ぎ伯爵を継承した。

<歴代閣僚と国会議員名鑑>
<平成新修旧華族家系大成>
<人事興信録など>


墓所 正面の一番右
正面の中央
正面の中央の左側 正面の中央の右側
左側 右側の碑

*川村家墓域には正面4基、左手側に2基、右手側に川村純義の碑が建つ。正面右から五輪塔「川村家天祖代々諸精霊位菩提」、祖父母の川村與十郎、由嘉子の刻みがある。正面真ん中の2基は両親の墓で、右は和型前面「妙法 偉烈院殿純義精忠日貫大居士」、裏面「枢密顧問官 海軍大将 従一位 勲一等 伯爵 川村純義 明治三十七年八月十二日薨去」と刻む。左も和型前面「妙法 乗智院殿志堅妙道日春大姉」、裏面「従五位 勲四等 川村春子 昭和五年五月二十七日逝去」と刻む。正面左端は和型「川村家之墓」、裏面「昭和四十二年九月 川村雅彦 建之」、右面は墓誌となっており、川村銕太郎、安、雅彦、美地子(雅彦の妻:H7.6.16歿・73才)、幸枝(H8.7.7歿・44才)が刻む。墓所左手側の2基は左から和型「妙法 英芳院純氣童子 / 聰睿院明逢日辰居士」裏面「英芳院 明治十七年七月廿九日歿 俗名 川村純三郎 / 聰睿院 大正六年二月三日歿 俗名 川村辰之助」と刻む。この二名は川村純義と春子の早死した子たちである。右の和型には前面に6名の法名が刻む。こちらは川村銕太郎と安の間に生まれた早死した子たちである。裏面に學子、純紀、純吉、無名、雅則、無名の没年月日と俗名は刻む。なお、川村家墓所は青山墓地より改葬された。

*川村純義は妻の春子(弘化2.2-S5.5.27:同墓)との間に4男2女を儲ける。長男は家督を継いだ川村銕太(=鉄太郎:M2.5.24-S20.4.23:同墓)。二男の純藏(M5.6.26-S11.11.1)は男爵の大寺蔵之助の養子となり大寺純藏として西園寺公望(8-1-1-16)の内閣総理大臣秘書官や男爵議員を務めた。長女の常子(M8.2-)は伯爵の樺山資紀の長男の樺山愛輔に嫁ぎ、その二女の正子が白洲次郎の妻。二女のハナ(M15.4-)は伯爵の柳原義光に嫁いだ。三男の純三郎(M17.7.29歿:同墓)は早死。四男の辰之助(M14.6-T10.2.3:同墓)も若くして没した。

*家督を継いだ川村銕太(=鉄太郎)の妻は安(M13.9-S42.1.11:同墓)。安は男爵の大久保春野の三女。銕太と安の間には公式では5男8女であるが、墓には名前がなく、浄心信教(M41.2.27歿)と、妙淡嬰(S2.12.19歿)の早死した子どもが2名いるため、実際は15人の子どもを懐妊したことがわかる。
 長女の學子(M33.6.26歿:同墓)は早死。長男の純紀(M39.1-T4.7.29:同墓)は川村家の嫡嗣として育てられていたが、学習院在学中に腎臓病を罹患し大学病院入院中に病没。二男の純吉(T3.5.4歿:同墓)は早死。三男の純之助(M42.9-)は男爵・陸軍大将の大久保春野の養子となり、大久保光野と改名し男爵を継いだ。四男の雅則(T5.7-S3.10.1歿:同墓)。五男の雅彦(T7.12-)が銕太没後に家督を継ぎ伯爵を継承した。二女の艶(M35.6-)は外交官の阪本瑞男に嫁いだ。三女の文(M36.12-)は三井財閥一族の三井生雄に嫁いだ。四女の武(M38.1-)は男爵・陸軍大佐でロス五輪馬術で金メダルを獲得したバロン西こと西竹一に嫁いだ(青山霊園1イ8-3)。五女の妙(M44.2-)は原勇蔵に嫁ぐ。六女の法子(T1.9-)は大倉隆吉に嫁ぐ。七女は須美子(T3.7-)。八女は川村恵美子(T11.5-)。


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